016.魔族の秘薬、魔法の媚薬
各々の修行がひと段落ついた頃、突然慌しく千波が道場にやってきた。一体何の騒ぎだと思いきや続いて麻弥、白希までもが一斉に入ってきたのだ。
「どうしたんだ?試験だったら半年後だろ?」
樹の言葉に千波はふるふると首を横に振りやや蒼白の面持ちで言った。
「唐突に任務が入ったの。あなた達と分かれてから暫くして霊界の特殊秘宝保管庫に何者かが侵入したようで、その際に魔族の秘薬とされていた薬品が何種類か盗まれたそうなの」
「それらを人間に対して用いる事は禁じられているが、害は無いんだ。しかし問題はその用途で、どうやら人間と手を組みこの薬品を使い一週間の間で人身売買をしている低級妖怪の団体があるらしい」
麻弥が続けると、それだけでどのような薬なのかはある程度の推測がついた。おそらく使用した人間は薬品の効果が切れるまで眠るか麻痺状態に陥るかもしくは媚薬的なものに限られる。人身売買となれば生きたまま妖怪に人間を差し出すという事だ、この一週間ともなれば何人が犠牲になったか知れない。
「で、俺達はその低級妖怪を捕まえれば良いのか?それとも人間のほうか?」
「どちらもよ。おそらく妖怪側は人間に変装し同じ人間に交換条件を持ち出したに違いない…特殊秘宝保管庫から持ち出された薬品は"バニャーラ草の雫"、"魔女の軟膏"、"寒蛇リスの麝香"が多かったから人間に普通の媚薬として渡し、それを使わせて自分達は楽に人間を食らおうって魂胆でまず間違いないわ」
バニャーラ草は魔界の植物で人間界ではバニラのようなものだ。バニラの場合は少量だが魔界の植物であるバニャーラ草には男性フェロモンと同じ成分が含まれている為、この草から抽出した成分を液体状にしたものが一種の媚薬とされている。
魔女の軟膏とは精液、愛液、コウモリの血や女性の経血、蛇など様々な生薬を練り込んだ軟膏で魔女サバトの饗宴で用いオルガスムスを簡単に得られるとされた(これは人間界にも伝承薬ではあるが存在している。しかし魔界で使用することは禁じられている)こちらも媚薬の一種だ。
寒蛇リスの麝香とは魔界の極寒地方にのみ生息する絶滅間近の生物"寒蛇リス"で、人間界でいうリスと外見は変わりないように見えるがその体内で数百年に一度強力な催淫剤の混じる香料を生み出したことから寒蛇リスの麝香と呼ばれるようになった。この香り自体に媚薬的効果がみられる。
ちなみにどれも効果、使用法のえげつなさから霊界の監視下に置かれる事になった希少の秘薬だ。

「で、今回あなた達にはどちらも殺さずに捕えて欲しいの。その後はどちらも私達のほうで何とかするわ」
気分が乗らないと言いたそうな表情で千波は言った。
「とにかくこの一週間分のデータを推測するとやはりと言うべきか対象になっているのは十代の女が多い。特に年齢でいうと16〜18だな…ふむ、一番魂が甘美な部類だ」
麻弥は平然と言ってのけるが神奈川メンバーの中にその年齢に達した女は今のところ居ない。
「いずれにせよ女が狙われている以上、ここは囮を使いおびき寄せそこを捕えるのがスマートなやり方だろうな」
「ちょっと待て麻弥!そんな作戦僕は聞いてないぞ!だいたい囮って言ったら綾さんしか居ないだろ!僕は反対だ!」
白希が初耳だと言わんばかりに声を荒げる。これほど分かりやすい惚れっぷりを見せる天使もそう居ないだろう。そんな様子を見て麻弥は口の端を吊り上げ鼻先で笑う。
「別に綾が囮とは言ってないだろ。なんならほら―――そこに良いのが居るだろ」
ビシッと麻弥は透也を指す。
「お、俺…!?俺か!?女装しろって言うのか!?」
「そういえば透也って学園祭の女装コンテスト三年連続制覇してましたよね
お前が卒業したから今年からコンテスト無くなったんだっけ」
「その話はやめろ!そして俺の古傷を抉るな…!」
どうやら透也にとって女装とは過去三年間にわたる最大の汚点らしい。もちろん容姿が整っているからこそ似合うというものでもあるけれど考えてもみてほしい。180もある長身の男が女装をして周囲の男を魅了する様を。魅了してしまえるのが恐ろしいところだ。

「俺は男だ―――――ッ!!!!」

「んな事はわかってる」
悲痛な透也の叫びを麻弥はいとも簡単に切り捨てた。
「っていうかさ、そんな事言ったら自然と綾が囮に決まっちゃうじゃん!」
竜慈がこのまま話が進むと危ないと思ったのか何とかして透也を説得しようとする。
「それじゃ、お前がやるのか?」
「 断 固 拒 否 ! 」
「即答かよ」
それもそうだ。透也が嫌がっているのを見れば自然とどれだけ屈辱的なのか分かるし何より、いくら任務のためと言えど好きな女の子の前で女装なんて出来るはずがない。
「それじゃ和臣はどうだ?」
「くたばれ」
「そうか快く引き受けてくれるのか」
「違う!死ね!」
そもそも似合うわけがない。

「あ、俺やっても良いですよ。去年の透也、楽しそうでしたからね
秀一の言葉にまた透也の古傷が抉られる。違うんだ、あれは楽しんでたんじゃない!愛想振りまけって笑顔で脅されたんだ!…お前に!と、そんな事は口が避けても言えない。
「俺もやらなきゃなんねぇならやるな」
「やめろ、気色悪い」
さすがの樹は麻弥のほうから断った。するとやはり囮となると一人しか余ってるはずがなく…
「え…わ、私!?」
自分を指して間抜けな表情のまま固まる綾。
「考えてもみろ綾、この男共が女装した醜い姿とお前が普通に学生服で歩いている姿…どっちがより女らしく見える?お前に決まってるだろ!」
「いや、そこで負けたら私、女としてどうなのっ!?」
「チッ…引っかからないか、成長したな綾」
褒めてるのか貶してるのか分からない物言いだが結局のところ女とは言っても一人にやらせるつもりは毛頭無い。嫌でももう一人か二人ほど囮が必要になるのだ。
「はっ…!待て麻弥、綾さんを囮にする必要は無い!アイツにすれば良いじゃないか」
ふと我に返った白希が指した先には樹と秀一の後ろで壁に凭れ掛かって「こいつらバカじゃねーの?」という視線だけ向け黙って見ていた稜が居る。今は式神の肉体だが一定の妖力を消耗されるまでは十分この肉体のまま活動できる。当然だが、人間にもきちんと見えるのだ。
「いつ綾さんの体から抜けたか知らんが、これだけ小さいんだ女でも十分通る!」
「テメェ俺をなめてんのか!」
「舐めるわけないだろ汚い」
「そういう意味じゃねぇえええ!!」
実は白希って凄くバカなんじゃないかと思った瞬間だ。しかし外見を考えてもある意味で稜が囮になったほうが年齢的には十分餌に釣られてくれる可能性が出てくる。しかしプライドの高い稜が女装なんて屈辱的な真似するはずがないのだ。
「良いんじゃねーの綾で。何かある前に守れば良いだけの話だろ」
幸いこの傀儡があれば本来のとまではいかなくとも普通の人間以上の身体能力があるし相手は人間と低級妖怪。妖力の消費さえなく戦ってもおつりがくるくらいだ。


結局麻弥に上手く言いくるめられた綾はとある女子高のブレザーを着てミニスカートで鏡に映る自分をしげしげと見ている。自分もあと数年でこういう制服を着るのかと思うと少しだけ今大人になった気分だ。それでも最近の人を見るとルーズソックスなんかをはいている。自分も数年後にははくようになるのか、それとも今のように黒い厚手のストッキングでもはいているのか。未来の自分を想像する楽しみが出来た。
着替えが終わると千波が入ってきてさすがに中学生にしか見えないから少しでも大人っぽくするために化粧をほどこされる。ついでにあれもこれもと手を加えられ最初こそ恥ずかしがっていたものの再び姿見で自分を見た時はあまりの別人ぶりに気分が良くなった。鼻歌混じりに着替えと化粧を終えて部屋を出るとポイントウィッグのおかげで長くなった髪と程よく控えめに施された化粧のおかげで高校生らしくなった綾を見て全員が意表をつかれた。
「―――っ…」
「う、わ、可愛い…!」
何か言いかけて和臣は口を閉じ、代わりに竜慈がぽつりと呟く。
「やっぱサイッコーにいい女だな、綾」
「だな、うちの学校にもあんだけ可愛い子居ないぜ」
「珍しいですね樹がそんな手放しで褒めるの」
「ああ?や…その、ほら、なんつーか…普通に可愛いと思ったから言っただけだっつの」
照れ隠しか眉間に皺を寄せむっとした表情になる樹。けれど褒められて嫌な気分になるはずもなく綾はすこぶる上機嫌だ。

「ねね稜君!どう?ちょっと大人っぽいでしょ?」
くるっと綾が前で回ってみせれば稜は飲みかけていたペットボトルのお茶を噴出しそうになる。
「お、おま…それ、スカート短くねぇか?」
今まで着ていた制服はもう少し長かったはずだと記憶を思い返すが当然だとばかりに綾は言う。まだ中学生の綾からすれば高校生の制服はそれはもう憧れのようなもので短い人はもっと短いんだという事を教えれば人間界はわけがわからんと呆れられてしまった。
するとそこへどういうわけか綾と同じ制服を着た七海が飛び込んできた。
「稜様っ!七海にも極秘探偵の任務、手伝わせてください!」
胸の前で両手を合わせて「お願い」のポーズ。これを見た綾は男ではないが可愛いと思ってしまった。でもこれは危ないらしいからそう簡単に一緒に行こう…とは言えないのが少し気まずい。
「お前は極秘探偵とは関係ない人間だろ。お節介はかえって迷惑だ」
綾が囮になっている以上他の相手にまで気を遣ってられないのが本音であり、二人が常に一緒に行動していたとしても万が一にも別々に連れさらわれてしまったら自分は間違いなく綾を追う。だから守ってやれる保障が無いのだ。
「どうして稜様、七海に冷たいんですか…?綾ちゃんにはとっても優しいのに」
「………知らん」
女の勘というものは随分と鋭いものだ。自分勝手で自分に都合の良いものしか見ていないんじゃないかと思わせておいて、意外と人を見ている。あえてぶっきらぼうに返して稜は視線を綾のほうへ移す。
(あ―――あいつ、逃げやがった…!)
人にこの女を押し付けて逃げるたぁ薄情なヤツだ、それでも肉体を共有した仲かよ、と言いたくなるが言ったら最後、こちらの式神の傀儡の維持が難しくなった時に戻してもらえないのは目に見えている。
「七海の事、嫌いなんですか?」
だからそんなに冷たく接するんですかと七海は言う。恋をする女心というものは全く分からないが(それは経験が無いからだ)相手は違えど同じ意味で人に対して情を抱いている点ではどうしても無下には出来なかった。
人間と、妖怪。
妖怪と、天使。
この点で言うと神に思いを抱き始めている自分に比べて七海はいくらか報われているだろう。種族は違えどこの人間は妖怪に最も近い位置に存在している。けれど自分は―――
「嫌いじゃない」
もし自分が綾に拒絶されたら、それを今考えたくはなかったがふと考えてしまったのだ。たとえ好きでなかったとしても好きという感情に至らないだけであり、嫌いなわけではない。
「だがそれとこれは別だ。わざわざ危険に足を踏み入れるな」
今俺に出来る精一杯の言い回し。言葉を選ばない…それだけで対象は酷く傷つくものなのだと綾から学んだ。いつだったか、俺はアイツが学校とやらで複数人に群がられていたのを知っている。それがイジメというものである事を知った。その時の俺はどんな事をされようと決して反撃する素振りを見せなかったアイツを「敵わないから諦めている」と思っていた。けれど違ったんだ。本当に強かったのはあの場でやり返さずじっと耐えているわけでもなく、ほんの憎しみの心さえ抱かなかったアイツのほうだ。
それで俺は悟った―――あの頃からアイツは自分自身が強い者だと理解していたんじゃないかと。
そして他人に言われて傷ついている弱さ。そこから俺はどんなに強くあっても痛みは感じるし刃物で切られる痛みよりも言葉の痛みのほうが相当なものだというのを知った。考えてみれば至極単純明快なことだったんだ。

「絶対に稜様の邪魔はしません!お約束します…!だから―――」
「お前は俺の話を―――」
「ねえ稜君、私、一人じゃ心細いから七海ちゃんに手伝ってもらおうよ」
七海の言葉に稜が一瞬反応を見せた時、稜の言葉を遮るようにして綾が言った。
「もし何かあったら稜君が七海ちゃんを守ってあげて」
「それじゃお前はどうするんだよ」
「私?私は千波ちゃんが見張っててくれるって言ってたもん」
にっこり笑って綾は言う。その笑顔はいつもと何も変わりなくて、全く分からなかった。何が分からないのか―――それは、綾の心が。同じ肉体を共有している時は嫌でも分かったのにそれが今では全く分からない。何を考えているのか、何を感じたのか…どうしてそんな事を言うのか。分からない事ばかりでグッと唇を噛み締めるが、あくまでこれは任務なのだ。一方的な私情を挟んでまで食い下がる事じゃない。
そう自分に言い聞かせ稜はコクリと静かに頷いた。


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