001.禁忌を犯した妖怪の融合
―――人は誰しも過ちを犯さないとは言い切れない。
それは人間だけではなく、妖怪もまたしかり―――


「こっの…!死に底無いが!!」
血の臭いが染み付いた風、枯れきった潤いを感じない木々。全てが灰のような景色の森に彼は居た。彼こそがこの物語の結末を変える唯一の―――異端の妖怪、天狼だった。
「―――チッ…しくじった…」
音を立てて肉を裂く爪。彼―――天狼は深手を負っていた。
「へっへっへ…間の子がまだ魔界に居たなんて、こいつは貴重だよなァ…?」
長い舌を巻きながら妖怪はより深く天狼の首を爪で抉る。
「ぐッ…ア…ッ」
「こう見えて俺様はお前みたいな赤子よりもずーっと物知りなんだぜ」
ニヤリ、と妖怪が笑うと天狼の妖怪である命の心臓"核"の在り処を探るように視線を向ける。
「お前さんよォ…何度目の転生だ?そんなちっぽけな魔力でこの俺を倒せると思ったら大間違いだぜェ…?なあ、天狼」
「クッ…ちっぽけかどうか、試してみるか…ッ…」
グッと眉を顰め、妖怪の爪を力の限り圧し折ると天狼は流れる血を抑えもせずに宙を舞った。
「チィッ…!どこに行きやがった!!」
出て来い天狼!と叫ぶ妖怪の声が広い森に木霊する中、天狼は小さな身体を引きずって血まみれの身体を動かし、人間界へ繋がる扉へ姿を消した。


当時の魔界では人間界へと繋がる扉があった。魔界の妖怪達は霊界から常に監視され、妖怪は人間に近づく事を固く禁じられていのだ。妖怪共の主食は人間の魂、またはその肉体。魔界が霊界に監視されている理由はそこにあった。
時に人間を喰らい、時に人間に憑依しその肉体に収められた魂を吸い取り死に追いやる。
そんな妖怪達の"生きるための行為"を霊界は許さなかった。
罪を犯した妖怪は霊界の最下層にある拷問部屋で全ての魔力を吸い尽くし霊界の糧とする。そしれ魔力を吸われた妖怪の行く末は決して死という安楽なものではなかった。生かす事も殺す事もせず、妖怪の核を消滅させ永遠に蘇る事もない。妖怪にとっては核というものが重要であった。その核は妖怪の命、妖怪の全て。争いの中で核を破壊され殺された妖怪であれば再び長い年月をかけ魔力を蓄え、再生できる。それは幾億年という長い長い年月だが、完全なる消滅ではないのだ。けれど霊界で魔力を吸い取られて消滅させられる核は再生できない。決して蘇る事のない永遠の虚無。
妖怪たちはそれを恐れ、決して人間界に出向く事はなかった。

けれどその禁忌を犯した妖怪は―――

「炎騎様、これは…!」
「おお、千波か。いい所に来た」
霊界の王座に肘をつき、のんびりと窓のような大画面に映された映像を見据える男。彼の名は炎騎。霊界の頂点に立ち今や魔界を監視するほどの力を持つ神の一人だ。
「なに暢気にしてるんですかっ!炎騎様も今ご覧になったでしょ!?」
「そう怒るな。この妖怪は天狼か―――ふむ。我に良い考えがあるぞ」
ニヤリと悪巧みをするような笑い方をする炎騎を見て千波はサッと青褪める。
「ま…まさか炎騎様…?」
「うむ。天狼をこのまま人間界へ向かわせてやろうじゃないか。面白い物が見れそうじゃ」
クックッと喉を鳴らして映像を見つめたまま炎騎はさも可笑しそうに笑っていた。




ここは人間界。一匹の妖怪、天狼は未だ深手には変わらないもの自分が人間界に来れた事に対して驚きを隠せなかった。霊界の監視をこの微弱なまでに弱った魔力が察知出来なかったとでもいうのか。
「くっ…この身体じゃ、人間界でももたねぇな…」
長い間人間界に居座ればいずれ霊界の目につき、その先に待つのは虚無の世界だろう。いっそあのまま妖怪に殺されたほうが幾分マシな選択だったかも知れないと天狼は思ったが―――彼の生に対する執着心はとても強かった。自分では気付かないほどに。


見慣れぬ機械的な建物が聳え立つ人間界。緑は無いものかと身を潜められそうな場所を探すもの、都心の中央にでも来てしまったのかと思う程に森の気配など見当たらない。

―――スッ

「ッ―――!」
もう既に霊界の奴に見つかったのかと衣擦れの音がした方向を振り返ると、そこには一人の少女が唖然とした表情で立ち止まって天狼を見ていた。
「あ…あなた…」
少女の目に入ったのは見慣れぬ衣装を纏い血塗れになって鋭い視線を自分に向けている青年の姿。けれど少女にはこの青年―――天狼が一目で人間ではないと理解できた。
「幽霊…?」
間抜けな事をぬかす女だ、と天狼は思ったが深手を負っているとはいえ自分の姿が見える人間が居るなんて考えもしなかったと驚いた表情を見せる。
「お前…俺が見えるのか…?」
「え…?見える…けど…」
人気がないといえ道のど真ん中で座り込んでいるなんて怪しすぎる光景を物ともせず少女は天狼に近づき鞄からハンカチを取り出して天狼の首にあて固まりかけている血を抑える。
「ッ…無駄だ女。そんな事をしても俺はじきに消えて無くなる」
辛そうに眉を顰める天狼を前に少女は大量の血を見慣れないのか今にも泣き出しそうな表情でしっかりとハンカチを傷口に宛がった。
「幽霊って、どうすれば成仏できるんだっけ…?」
「俺は幽霊なんてモンじゃない。妖怪だ」
「妖怪…?えっと…じゃあ、妖怪はどうやったら助けられるの…?」
この女は低俗な人間なんて生物のクセに妖怪である自分を助けようとするのか?と天狼は馬鹿馬鹿しいといった表情をして少女を見る。けれど少女の目はいたって真剣そのもの。こういうタイプは人間界だろうが魔界だろうが、きっとどの世界でも騙されやすいやつに違いないと思った―――が、そろそろ限界が近いのかゴボッと口から血を吐き荒い呼吸のまま今度こそその場に倒れこんだ。
「ちょ、ちょっと!大丈夫ですか!?」
慌てて天狼の肩を抱くと鬱陶しそうに天狼はその手を突っぱねた。
「余計な…事をするな…たかが人間なんかに助けられるなんて、まっぴらごめんだ…」
今の自分に本来の力があればこんな女、捻り潰して魔界の森にでも放り込んで妖怪達の餌にでもしてやるところだ、と自分の思考の非道さに眩暈を覚える。
(―――俺は、人間なんてクソ不味いもんは食わねぇ)
それは彼が天狼と転生を果て産まれた頃から確信していた事だ。
(―――でも、人間の…特に霊力の高いヤツを食えば力が戻るとか言ってたな…)
妖怪達は口々に日々そんな事を言っている。それなら嫌でも孤立している天狼だってわかる事だろう。けれど今この女を食ったところで自分が霊界のヤツに見つからないとは限らない。どうするかと考えていれば天狼の死期が近い事を感じたのか少女は手を差し伸べた。


「―――生きて」


まるで妖怪である自分が心を見透かされたような気分になった。
―――生きて、天狼―――
頭の中で響いた自分の過去に置き忘れた誰かも知らぬ女の声。そんな事もあったか、とデジャヴを感じながら天狼は無意識に少女の手を取っていた。
途端、パァッとあたりは一瞬光に包まれ次の瞬間には天狼の姿はどこにも無かった。ただ少女が胸を押さえるように蹲っていただけだったのだ。




「天狼が転生…したか…?」
「い、いえ…これは転生とは違うような…」
その映像を全て見ていた炎騎は驚いたように目を見張り隣に居た千波は炎騎よりももっと驚いた顔をして少しばかり信じられないといった顔で言った。
「これは…融合…!?」
にわかには信じがたい光景。これは天狼の能力なのだろうか?もはや魔界の誰一人としてこんな光景を見た事があるヤツなんて居ないだろう。もちろん霊界にも居ない。妖怪は人間に憑依出来る。けれど憑依を行う場合は自分の心臓である核は常に妖怪の体内にあり魂だけが人間の身体に入り込むというもののはずだ。
けれどたった今目の前で見た光景は全く違う。天狼の身体は消滅し気配など微動も感じない。しかし変わりに天狼の核が確実に少女の中へ埋め込まれていた。
「人間と妖怪の融合か―――にわかには信じがたい光景じゃのう」
「けれど事実…どうしますか、炎騎様?」
「まあ良い。このまま規則通り人間界に住まってしまった妖怪は人間に転生した妖怪同様、極秘探偵…として人間界を守ってもらわねばならん」
「し、しかし炎騎様、天狼はもはや重罪人では…」
「なに、極秘探偵は罪人ばかりじゃ。罪は重かろうと軽かろうと同じ事だぞ」
スッと千波に目配せすると千波はそれ以上何も言えなくなったのか黙って頷いた。


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