018.捻くれ者の暇つぶし
まるで高熱を出した時のような気分でその間ずっと自分は気を失っていたようだ。ふと綾が目を覚ますと先程までの息苦しさは跡形も無く消え去っていた。体も問題無く動く。
「っ―――目が、覚めたか…?」
自分を覗き込む顔にどことなく違和感を感じたのは多分、慣れないからだろう。彼にしてはらしくない…一瞬声を荒げそうになってその感情を無理矢理押し殺したような雰囲気だった。稜はあれから任務終了の報告を受け取る前に異変に気付き即座に他のメンバー達と合流した。
『すまん、あの人間達のほうがこちらの土地勘があるようで見失った』
『そんな事言ってる場合じゃねぇだろ!今すぐ探しに行くぞ』
こんなとき、どうして綾の肉体に戻っていなかったのか自分を責めずには居られなかった。
『待ちなさい稜君、強力な助っ人が来たわよ』
『助っ人…ですか?何だか見覚えのある顔ですね』
秀一の言葉と共に視線をその"助っ人"とやらに移すと強面の爺さんと起きてるか寝てるか分からん奴と何も考えて無さそうな男と無愛想で無気力な男だった。どこが強力な助っ人かと怒鳴りそうになったが夜も遅く人気の少ない住宅街だ。声なんて筒抜けに決まっている。
『彼らは青森の極秘探偵よ。修行に来たタイミングが良かったわね』
そして他の説明は抜きにして各自捜索を始めた。樹の奴が綾に発信機をつけていたらしいが、道端に落ちていた鞄でその後の行方が分からなくなった。そこからはもう我武者羅に走り回った記憶しかない。戻ってきたという報告を受けた時でも無事でいる顔を見るまで安心できなかったくらいだ。


「ここ…道場…?」
「ああそうだ。気分はどうだ?薬はちゃんと抜けきってるか?」
「大丈夫。いつも通り…でもちょっと喉渇いた…かも」
「本当に大丈夫か?人間の肉体だぞ?副作用が無いとも限らない」
「ぷっ…稜君たら心配しすぎだよ」
ケラケラと笑う綾を見てムッとする稜。人がどれだけ心配したかこの女は全く分かっていない。樹が効果を相殺する薬を作るまでの間、どれだけ他の人間を苦労させたと思っているんだか。
(色んな意味で心臓に悪いから思い出したくもないけどな)
樹は薬を飲ませる事を拒み、秀一は嬉々として自分が飲ませようとし、それを竜慈が静止している間に透也が抜け駆けしようとする。そんな透也に和臣が釘をさし呆気にとられている青森の極秘探偵たちをよそに綾を寝かせている寝室へ入っていった。(室内で半端じゃない物音がしたのは多分和臣も色々と大変だったんだろうと思ったが)その薬をなぜ稜が持っていかなかったかというと自ら戦線離脱したからだ。おそらくあの状態の綾に会ったら無茶をした事や油断していた事に対して以外にも理不尽に怒りをぶつけてしまうと思ったから。
(随分人間に感化されたもんだな、俺も)
それをけして悪いことばかりではないと思えるあたりもまた、感化されているのだろうか。


「それより私を助けてくれた人たちは?」
「ああ、これから数日この道場で修業するとかって青森の極秘探偵達だろ」
「へぇーあの人達も極秘探偵だったんだ」
「………お前、知らないで気失ったのか」
「いや、だってほら…敵じゃないってわかったからつい…」
「ちったぁ学習しろこの馬鹿!!」
スコン、と綾の頭をはたく。痛いだの酷いだの文句を言いながら睨みつけてくる様子を見るともう十分大丈夫そうだ。他の奴らは一海に「そんな暇あるわけないだろ」と休む間もなく修行を再開され今は地獄を往復しているところだろう。
「俺はあいつ等に報告してくる。それまで大人しく―――絶対に、ここを動くな」
「う…何か稜君怖い…」
「いいか、絶対だぞ?動いたらどうなるか想像して待ってやがれ」
一番想像したくない事をあえて想像して待たせるなんてどれだけ鬼畜なんだお前は!とついノリでつっこみたくなったけれどツッコミをいれたら最後、確実に今度は全力で殴られるに違いない。ブルブルとその様を思い浮かべて蒼ざめながらも部屋を出て行く稜を見送った。
「…あ、稜君、飲み物は…?」
今更かって話だ。


稜が出て行ってすぐ、ノックもせずに部屋の襖が開いた。稜が水でも持って戻ってきてくれたのだろうと期待をして「おかえりなさい!」と声を発した瞬間、それはそれは気まずい沈黙が流れた。
「………あの、ごめんなさい。人違いでした」
おかえりなさい、と綾が言った瞬間に物凄く嫌そうな顔をされたからとりあえず謝っておく。部屋に何も言わずに入ってきたのは見覚えのあるマフラーの男で、そういえば助けてもらった人のうちの…怖いほうの人だという事を思い出した。
「ええと………」
部屋に入ってきたは良いが無言のまま返事すら返そうとしない。人が謝っているのにうんともすんとも言わないのだ。変わりに布団の上にボスッと2リットルのペットボトルに入ったミネラルウォーターが無造作に落とされる。せめて手渡しにしてほしかったのと、コップか何か用意してくれても良いんじゃないかという希望が次から次へと出てくるがここはまあ、好意として受け取っておくべきだろうと言葉を飲み込んだ。
「あ…昨日は助けてくれてありがとう…ございました」
少しオドオドしてしまうのは気後れしているからではない。なんだか怒ってるような雰囲気を出していたからついたじろいでしまうだけ。するとぺたりと畳みの上に腰をおろしじっと綾を見る。
(な、何?何か変な事言ったっけ私!?)
そんなにマジマジと不機嫌そうな顔で見られても怒らせるようなことをした覚えのない綾は戸惑う。そんな状態が数分続き、ようやく男のほうが口を開いた。
「名前………、人に名前を聞く時は、まず自分からって言ったよね」
そんな簡単な事も覚えてられないほどお前は馬鹿なの?と続けられて綾は呆気にとられる。それは「まさかそのためだけに部屋に来たの?」という事からで、そう考えると面白くて仕方が無いからだ。
「綾っていうの。神奈川の極秘探偵なんだ」
「知ってる」
「……………」
知ってるなら聞かなくても良いじゃん!と言いたくなったが何を考えているのか分からないのと怒ってそうな雰囲気が怖くて今ひとつ口には出来ない。
「幸也」
「…へ?」
短く吐き出されたのは人の名前。きっと彼の名前なのだろうとは思ったけれど何だか綾が無理矢理問いただしたように感じるのは気のせいだろうか。いや、むしろそう仕組まれたように思える。
「なに、一回言っても分からないの?めんどくさい奴だねお前」
「なっ…わ、分かるよ!幸也でしょ!覚えました!」
言い返した事に驚いたのかきょとんとした表情をした幸也。その後ですぐにその表情を引っ込めて今度はニヤリと陰湿に笑みを浮かべた。
「図々しいね、いきなり呼び捨て?」
「う…っ…こ、幸也…くん」
「何かお前のほうがお姉さんって感じで気分悪い」
「幸也さん!」
「僕そんな歳じゃないし。お前と同学年だってさ」
「―――…じゃあもう何て呼べば良いのよっ!」
「別に僕、嫌だとか言ってないし。図々しいねって言っただけじゃん。なにヒステリー起こしてんのカルシウム不足?嫌だねキーキー煩い猿みたいな女って」
「……………」
何でここまで言われなくちゃならないんだろう…と内心でイライラさせられたが、もしかしてこれは構って欲しいのだろうか。そういえば先程稜が言っていた、みんな修行をしていると。
「そうだ…修行、しなくていいの?」
「…何で僕が修行なんてめんどくさい事しなきゃなんないの」
「いや…みんなしてるみたいだし…しないのかな〜…なんて」
「お前だって修行してないじゃん」
ぐさりと心臓に悪い言葉が刺さった。確かに一海の道場に来てから全く修行なんてしていない。おかげで式神というものがどういう事なのかもサッパリだし五行思想がどうこうとかも全く理解出来なかったものだ。
「ま、まあ、うん、それはそれ!これはこれだよね!ファイトー綾!」
自分で自分を励まして何だか虚しくなる。せめて何かつっこんでくれれば良いのにこんな時に嫌味の一つも飛んで来ない。どう接すればいいのか全く分からない上にこの部屋で二人きりという状況。ついでに動くなと稜に念をおされた為に逃げることも出来ない。
「なに、僕に何か言ってほしいの?もしかしてお前マゾ?」
「そういう趣味はありませんっ!」
キッパリと言うと再び反応が返ってこなくなる。これは本当に構って欲しいのか、それとも何か言おうと思って来たけどシャイだから言えなくて照れ隠しの暴言だったり…する…といいなぁ。なんて綾は考えている。しかしその考えは少なからず当たっていた。


急に資格が必要になるから試験を受けろなんて言われ本来任務なんて全て他の奴らに任せっきりだったはずなのに、どういうわけかその時はほんの気紛れで行ってやろうかなって気分になった。何でも神奈川にまた一人極秘探偵が増えたらしい。それも僕と同じ年で天狼とかいう妖怪と前代未聞の融合をしたせいで巻き込まれた…というように聞いた。
僕にしては珍しく面白い話だなーと聞いていただけだが、そんな話を聞かされている間に一海ばあさんの道場に修行をしに行く事になった。僕は嫌な予感がするし面倒だから行かないって言ったのに同じメンバーの華僑に無言の威圧を受けて黙ったところを義明に無理矢理引きずられてきた。
実際に来てみれば道場につくと同時に死神と悪魔が面倒ごとを押し付けてきて強制的に任務をさせられる事になった。…正確には任務の尻拭いみたいな事だけど。最初はやる気がなかったから適当にサボろうかと思って一人でぶらついていたら本気で手伝ってる義明にバッタリ出くわして半ば強制的に「綾」という新しく入ったらしい女を捜すハメになったんだ。それが面倒だ面倒だと思っていたらどういうわけか妙に威勢の良い声が聞こえてきて、ああもう決定あそこに居るじゃん。と思って行ってみたら本当に探してた奴が居たってわけ。
工場らしい建物から聞こえてきた声をたよりにして中へ入ってみるとまさに下衆と例えるべく男が唇を噛み締めて必死に自分より大きな男を睨みつけている女の子を殴ろうとしていた時だった。その時はもう無意識でご自由に使ってくださいと言わんばかりに転がっていた鉄パイプで死なない程度にその男を殴って気絶させてやったんだけど―――
『…誰』
助けてくれてありがとう、とか怖かったとかお決まりの台詞が聞こえてくるんだとばかり予想していた僕は一気に気分が悪くなった。何でかって人が助けてやったのにこの女、恩人に対して凄く冷たい声を出すんだ。そのくせガタガタ震えてる自分に気付きやしない全く馬鹿な女だった。

その時はまだその女と妖怪が融合体として同じ肉体を共有していると思っていたからいつもの調子で罵ってやったけど、人が罵ったのに嫌な顔一つしないで逆に安心したのか目の前で意識を失った。
『こ、幸也、大丈夫なのその子!?』
『平気。寝てる。でも任務の内容からして薬盛られてるね』
呼吸が荒く体温も高い。薬の効果が切れるまで苦しまないといけないけど別に害がある症状じゃないのは簡単に分かった。もちろんその薬の効果を抜く方法もわかるけれど、さすがにそれをこんな場所でやるほどデリカシーに欠ける人間じゃないつもりだし、会ったばかりの女に欲情するほど単純でもないからそのまま連れて帰る事にした。
『俺が持とうか?』
『いい』
『………明日は槍が降ってくるかも…?』
『義明―――コイツ、重い』
『うわっ!?ちょ、な、投げるなよ女の子なんだからなっ!』
『フン…』
僕がほんの少しばかり人に優しくしただけで失礼な奴だ。だいたい極秘探偵ってのもパートナーが居たほうがいいっていうだけで別に一人で行動したって構わないはずなのに、どうしてこんな奴と組まされたんだか。

それでも翌日までその女の事がなぜか気になって、目を覚ましたような気がしたから部屋の近くまで行ってやった。
『ぷっ…稜君たら心配しすぎだよ』
楽しそうな声が聞こえてきて正直ムカついた。僕が聞いたのはこの女の人を疑うように、拒むように吐き出された冷たい声色でその時の様子からとてもこんな楽しそうな声が聞こえてくるとは思ってなかったんだ。
(―――心配してきてやったのに、損した)
それを考えてピタリと歩みを止める。心配した?僕が?―――誰を?そんな事は分かりきっているけれど、それを理解すると尚更腹が立った。
暫くして人型の式神が部屋から出てきた。なんだあの女、式神なんかと楽しそうに話してるのか?頭可笑しいんじゃないの。そう思いながら部屋の中に入ろうとするけれど口実が無い。誰?なんてまたあの冷たい声色で言われたら―――何しに来たの?なんて聞かれても口実が無いんだから答えられない。そんな気まずいのにわざわざ足を運んでやるのも癪なので何か無いものかと考えてみると、そういえばあの式神の男が出て行ってから間抜けな声で「飲み物は…?」って言っていたような気がする。媚薬を盛られたんだ、いくら相殺の薬を投与したところで薬品の類は喉が渇く。
仕方なく僕は水を持って(目に入ったのがこの大きいペットボトルだったんだから文句を言われたら持ってきてやっただけで有り難いと思えと言い返してやろう)その部屋に入った。
『おかえりなさい!』
ふわりと花が咲くような笑顔で迎えられて驚く。と言っても驚いたのは一瞬で次にはもう"誰に向けられた言葉"なのか理解してしまったから逆に不愉快になった。そう、神奈川のリーダーとか偉そうに自己紹介していたあのむさ苦しい男の言葉を借りるならサイッコーに不愉快だ。

そこからはもう、本当は聞いてやろうと思ってた「具合どう?」なんて簡単な一言でさえ言ってやる気にはなれなかった。止まれ止まれと思っても口をついて出てくるのは罵る言葉だけで、次第にそれさえ楽しくなってきた。
だって綾は、少しからかってやっただけで泣きそうになりながら反論してくるんだ。そのくせ謝る。わけがわからない。でもそんなところが面白く思えた。それはまるで新しいおもちゃを見つけたような感覚で、無理矢理連れてこられた事に対しての不満もいつしか消えるほどに。

(ほら、僕にお前の名前を言わせてごらん)
気付いてるだろ、まだ一度も呼んでないって事。僕はまだ言ってやるつもりなんてないけどね。


041004...081108修正