017.接触、敵か味方か
まずは夕方、下校時刻にあわせて高校付近で待機。今手元にある情報からするにこの道場の付近にある高校生が特に狙われている。万一この付近に妖怪達が出入りしているのであれば一海が気付かないはずもない。けれど微かな隙間を拭うように進入したとなればそれは相当頭はキレるが最下級クラスの妖怪でなくてはならない。なぜならどんな妖怪も自由に人間界に出入りできるわけじゃない。どんな妖怪でも必ず霊界の監視下におかれ人間界へ行くことは重罪とみなされているからだ。
しかし稀に微弱な妖気を感知できずに逃してしまう事もある。それがまさに今の状態だ(天狼が人間界に来た時は半死半生で弱っていたとはいえ十分に霊界はその妖気を感知できたのだからそれ以下といえる)最下級クラスの妖怪といえど一般の人間を相手にすると蟻とゴリラほどの差があるわけだ。これは霊界として見逃すわけにはいかず早急に極秘探偵を動かす必要があった。

(霊界は人間界の上に成り立っているわけだから、ね…)

千波は終始バツの悪そうな表情をしていたけれど極秘探偵でその事実を知っている者は少ない。その理由もまた、生ある者全てをエネルギーに変え必要であれば死神はそのエネルギーを補給するために人間や妖怪を狩る事もあるからだ。それは人間を守るという肩書きを与えられているにしてはあまりに矛盾しすぎていて時折神々の―――世界の意図さえ見えなくなる。否、今まで生きてきた中で一度たりとも自分の仕える神の思考さえ読めたことがない。
「やっぱり、任務の時は嫌になるわね」
「今更だろ。あたしらはそういう種族だから気にした事はないけどね」
「バカ言ってんじゃないわよ、麻弥だって本当は辛いくせに」
「バカはどっちだい?あたしは人間がどうなろうと知った事じゃない」
そんな死神と悪魔の会話を聞いたものは、誰一人として居ない。


任務遂行の合図から暫く、綾はどうしていいのか分からずただ普通に高校から一海の道場までの道をのんびり歩いていた。既に日も暮れかけていてあたりは薄暗く、日頃自分の家がどれだけ明るい道だったのかを思い知らされた。
(怖いけど、相手は人間だもん、ね)
本当に怖いのは人間のほうだけれど―――と一瞬考えそうになる思考を何とか振り払う。万一のときに備えて白希が見張ってくれる事になった。一人でウロウロしていると普通の人間のほうがかえって怪しいと目を付けられ無関係の人間が巻き込まれるからだ(例えば、警察など)それらを考慮しいかに人間に溶け込み任務を遂行できるかにかかっている為、時折道端に現れては短く会話し別れの繰り返しだ。
「もう下校時刻から三時間ですね…いつもはどのくらいの時間なんでしょう」
「それが…全て事後の痕跡しか掴めず正確な刻限は分からないんですよ」
「じゃあ、もう少し頑張るしかなさそうですね」
「大丈夫ですか…?その、体力とか」
「歩きっぱなしで疲れるけど途中でこうやって休めるから大丈夫!」
へへっと笑い綾は再び一人で暗い道のほうへと歩いていった。その後姿を見つめながら何も出来ない自分の無力さを感じるばかりだ。他の極秘探偵達にこの任務を回せば良い、と何度も思った。けれど各県や範囲で決められている一つのルールというものを破るわけにはいかない…それは他のどの種族よりも真面目に誠実に、正しく作られた天使だからこその思考だった。

一方稜は綾に言われた通り傀儡の状態で行動を続け七海を監視している。怪しい人物は居ないか、何か周囲に以上は無いか、妖気はにおってこないか…全てに神経を注いでも未だ微かな髪の毛一本の痕跡さえ残さないじれったい任務に苛立ちを覚えていた。
(めんどくせえ…)
それ以外に言葉に出来る感情がない。どちらか一方で良いのだ、綾か七海どちらかの餌にかかってくれさえすればこの任務はいとも簡単に終わるだろう。こういった長期戦は嫌に精神力を削られるから正直好きではない、と稜は思う。そして出来る事なら七海のほうにかかってほしい―――と期待している自分に嫌気がさす。綾のほうにもきちんと監視も含め実力を持ったものが付いているのは分かっているが、それでも"自分じゃない"という事が不安を駆り立てる。
「稜様、大丈夫ですか?式神で作り出した肉体だからどこか不調でも…」
「いや、ない。それよりあと二時間で日付が変わるな…」
「そう…ですね、警戒しているのが伝わってしまったんでしょうか」
「…可能性は無くもないが、こういった道で警戒しないほうがかえって不自然だろうな」
普段からこういった暗い道を歩きなれている七海でさえ最低限の警戒で抑えているのだ。それなのになかなか餌にかからないという事は綾のほうか、もしくはそれ以外の一般人に向かってしまった可能性が高い。極秘探偵として任務を遂行している今、前者であるほうが好ましいのだが後者であってほしいと心の片隅で思ってしまう。たった数時間、こうして離れただけでそんな風に思ってしまうのは精神的な共鳴でもしているんじゃないかという錯覚さえ思わせる。
「まあ、刻限まではこのままだな。そんな都合よくかかったりしないさ」
「はい…あの、七海、頑張りますから!」
「そういう事で張り切るな。肩の力抜いてりゃいいんだお前は」
―――ちゃんと、守ってやるから。
その言葉ははたして七海に対して吐き出された言葉なのだろうか。それとも…


刻限は深夜零時。日付が変われば一時休息をとり翌日に任務を持ち越す予定だった。しかし餌を撒かれれば簡単に引っかかる可能性は高かったのだ。何しろ生物本能であり生理現象という欲求なのだから。
タイムリミットまで一時間、ようやく変化が訪れた。
(―――来たか…?)
和臣の見張る先には綾の姿がある。その周囲から少しずつ若い男達が囲むように近づいているのが分かった。数は4〜5人といったところか。まるでネズミ捕りだなと和臣は任務の標的を確認すると核心を得て唇を吊り上げた。
(―――来たな)
同時に樹も気付いたのか綾の行動範囲の各所に設置した小型カメラの映像をモニターで確認しキーを叩き込みプログラムを新しくしていく。他のメンバー達は稜と共に七海のほうへ付いているのだ。その理由は"彼女は人間だから"というものだ。綾も現段階で知れている事からすると人間ではあるが、少なくとも極秘探偵という事で最優先の部位から外れた。
それに対し講義の声をあげた白希だが結果的にこれ以上は私情を挟むことになるので自らが監視という立場で綾に付くことで補おうとしていた。
「お姉さん〜、こんな暗い道一人で歩いちゃ危ないよ〜?」
チャラチャラとしたいかにもそうな男が綾に声をかける。一瞬「今日はもう来ないで欲しいなー」なんて呑気に考えていたもので気が抜けていた為、ビクリと肩が震えた。
「い、急いでますから」
文字通りベタな演技で(演技のはずが本気で嫌がっているように見えるから困ったものだ)男を避けて逃げようとすると、案の定腕を捕まれた。
「そんなつれない事言わないでさ、俺達とちょっと遊ぼうよ」
「何ならオールでカラオケも奢っちゃうよ」
綾は相手が一人だと思い込んでいたのか背後からガシッと羽交い絞め状態で回された男の腕と声に悲鳴を上げようと息を大きく吸い込む。

―――しまった―――

そう思った時にはもう遅い。不意に鼻腔をくすぐった甘い香りに嫌な予感がした。ぐらりと揺れる視界、力の入らない四肢、急激に上がった体温、全てが手に取るような感覚で理解できて不安に駆られた。
「うわっ…なんだお前!」
「やばいぞ、先に行け!」
微かに聞こえたのはそんな声できっと白希と和臣が樹の指示を受けて助けに来てくれたんだろうな、とほっと胸を撫で下ろし自分の腕を掴んだのが一体誰の手なのかも確認しないまま意識を失ってしまった。




意識を失っていたのはどれくらいだろう、長い間歩いていた足の痛みが消えていないという事は数分程度なのかも知れない。綾は朦朧とする意識の中で鉛のように冷たく思い枷が擦れあう金属音で目を覚ました。
(あ、れ―――?)
確か白希と和臣が助けに来てくれて、それから。
あたりを見回せば見知らぬ工場のようでゼェゼェと呼吸を整えている男の姿が目に入った。数は二人―――しかし白希と和臣ではない。という事は自分が安心して意識を失ってしまったのは迂闊だった、まんまと自分を抱え逃げられてしまったのだから。
「ッチ、楽しむ間も無かったじゃねぇか!何なんだよちくしょう!」
「こんな話聞いてねぇよ!…あいつら逃げられたかな」
「無理だろ、あんな強いやつら見た事ねぇ…」
「これで俺らもムショ生活だったりしてな」
そんな男達の会話が聞こえてきて気分が悪くなる。どうしてこういった犯罪に手を染めてまで平然としていられるのか。仲間を気遣う気持ちが少なからずあるくせに見ず知らずの人間は簡単に妖怪に差し出せるのか、と。彼らは自分達が取引している相手が妖怪だとは知らない。知らなければ許されるのか―――そんなはずはない。既に犠牲になっている者を考えれば決して許されるわけがないのだ。
(そう…許されるわけない―――のに…)
悔しい、今すぐにこの枷を解いて人間であろうと一発くらいぶん殴ってやりたいのに、体がいう事を聞かない。金属が手首に擦れるだけでもゾクゾクと薄気味悪いものが背筋を伝う感覚。媚薬だなんてものを経験した事もましてや人間としての悦楽を経験した事もない、けれどただ一つ言える事はこういったものを欲した人間とそれを利用した妖怪達に怒りを覚えた。
「やつらが来る前に少しくらい楽しめるんじゃねぇの?」
呼吸が整ったらしく、平然と男が言う。もう一人の男はそこまで胆が据わっているわけではないのかやや引いているようだ。これくらい体が動くなら枷でさえ何でもないのに―――
「どうせ捕まるなら終わった後のほうが得だろ」
そう言って男はブレザーを左右に引き裂く。ボタンが勢いよく弾けとび綾はギリリと唇を噛み締めた。
「そんな怖い顔しないでさ、ちょっとは同情してくれても良いんじゃない?」
「…何のために」
「君のせいで俺達捕まっちゃうかもしれないんだよ?」
その言葉にカッと綾の頭に血がのぼる。精一杯の力を振り絞りガツンと目の前にあった男の額に頭突きをかますと綾はありったけの声で叫んだ。
「あなた達のせいで死んだ人間も居るんですよ―――それなのに…同情なんて笑わせないで!」
「ッ―――ってぇな、このアマ…!」
男が綾に向けて拳を振り上げた瞬間、ごつりと鈍い音がして男は倒れる。それとほぼ同時にギャ、と短い悲鳴が聞こえもう一人の男も地面にどさりと崩れ落ちる音が耳に入った。

「…誰」
安堵はあっても怒りの収まらない綾は冷たい声色で薄暗い工場内に人を探す。するとガキン、と金属の枷が外された。
「人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀。さすが妖怪、不躾なもんだね」
完全に見下したような物言いだが、これだけでは敵か味方の区別なんてつくわけがない。
「ちょ、ちょっと女の子にそういう事言っちゃ駄目だってば」
「何で?助けてあげたのは僕だよ。どうしようが僕の勝手だろ」
「助けて…くれた、んだ」
そうか、それなら敵じゃないんだよね…と頭で理解するとようやく安心できたのか気が緩む。微かな明かりで見えたのは短髪の男の子と、助けてくれたらしいけれどどこか冷たい目をしているマフラーを巻いた男の子だった。


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