003.止まった時間と動き出す歯車
この春中学に入学したばかりの綾はとても悩まされていた。幼い頃から人とは違う感覚に家系で霊感というものが備わっていた。綾の家系は女性にのみ代々強い霊感がある。人はそれを霊力と理解する事はないが、おそらく綾の家系で綾は一番強い霊感が備わって産まれてきたのだろう。それは歳を重ねるごとに強くなり、小学生の頃だろうか…人とは違う自分を気付かれないようにと心がけるようになったのは。けれど思った時には遅く、その頃からイジメにあっていた。
今日もまたイジメられ、もういい加減疲れ果てたと思いながら仕返しをするだけの力が無い。それに綾は"暴力に暴力を返す"やり方を気に入らなかった。相手も痛いだろうが自分も痛いのだから。それを分かっていて、けれど何も出来ないから諦めていた。
そんな彼女はある日の夜、家路につこうとしていればまた"この世の人じゃない人"を見てしまった。見えない、見たくない…などといつもは思っていたが血塗れだが息をしている…微かに生気を感じる"者"を見て助けないといけない、助けたいという感情が芽生えた。
けれど相手は妖怪だった。それを分かってなお手を差し伸べた瞬間から、彼女の世界は一変していくのだった。


「こ…れは…?」
家に届いた一通の手紙。よく見れば住所も切手も無い。手で入れたのか。
(その手紙…霊界からか…)
ついに見つかったのか、と稜は分かりきっていたように溜息を吐く。どうせ大罪を犯したのだから魔力は奪われ魂は消滅。核すらも消滅し永遠に再生する事はない…
(―――俺の寿命も一千年ってとこか)
短かったな、とらしくない事を考えて笑うと綾はえっ?と首を傾げ手紙の字を読み直した。


【認定書】

先日あなたの元へ一匹の妖怪が現れた事と存じます。
つきましてはその妖怪の身柄および"貴方様自身の能力"共に我々に力をお貸しください。
場所は本日の深夜零時より迎えの者を向かわせますのでその御身一つでご同行くださいますようお願い申し上げます。

っていうのは堅苦しくてあまり私好みじゃないんだけど霊界の王様が「これは我が決めた事じゃ!」なーんて私をコキ使うもんだから参っちゃってねぇ〜。これでも私霊界の王様の秘書ってところかしら?有能だからなーんでも任されちゃうのよ。だから申し訳ないんだけどこれから私の元で働いてもらうわよーってお手紙なの。
あ、働くって言っても人間界では法律っていうものがあるんですってね?気にしなくていいわよ。表立って働くわけじゃないし、重労働でもないし!お給料は人間のあなた確かまだ中学生だったわよね?ちょーっと霊界の法律っていうのもあってねぇ…人間界の法律も確か同じようなものだったと思うわ。一応、人間界のお金は出せないけど霊界の出入りを自由に行ってオッケイ♪っていう許可証を発行してあげるわよ!
どう?随分貴重な人生体験できるんじゃないかしら。いやーん私ったら随分名案じゃない!
というわけだから、ぜーったいに来てよね!(来ないと私が怒られちゃうんだもの)因みにちゃんとお家に帰してあげるから大丈夫よん♪


その手紙を見てゴシゴシと目を擦りもう一度読み直したものの、やはり内容は変わらず。呆気に取られる綾に稜は何だこりゃ!とでもいうように綾の身体を急に入れ替わりビリビリと手紙を破り捨てた。絶対にこんなアホそうなヤツが霊界の使いなワケがないと思う。
(あっあのっ!あのっ!稜君っ!)
(ん?何だよ。こんなもんどっかの頭がイカれちまった人間の悪戯だろ)
(えー、でも面白そうじゃない?私すっごい興味あるんだけどっ!)
(アホかお前は!こんな見るからに怪しい手紙捨てるべきなんだよ!)
フン!と鼻先で笑い手紙を捨てたゴミ箱から視線を外す。たとえ本当に霊界の使いであっても、こんな頭の悪そうなやつに連れて行かれて消滅するなんて冗談じゃない。と稜のプライドは言っていた。もちろん本物の霊界の使いだと知って後ほどがっかりと肩を落とすハメになるのだが。


「なっに着ってこ〜うかな〜っ♪」
ルンルンと鼻歌混じりに歌いながら綾は本当に零時になったら誰かが来るだろうと確信したようにクローゼットをあさって服を選ぶ。コレが良いかな?と取り出した服がスカートな事に気付き、そんな女々しいもん着せるな!と頭の中で稜の声がしたが気にも留めずに肩から小さなポシェットをさげサイフと携帯だけを持ち準備万端!といったように部屋のドアの前で待っていた。
(おい…もし部屋に来たとしてお前の家族はどう思うんだよ)
ここ数日ですっかり人間界の事を隅から隅まで理解してしまったのか元より人間に産まれていたのなら天才だったのかと思うほどに飲み込みが早く環境に慣れる事も早い稜。そんな稜が常識的な事を言ったので綾は驚いた。
それもそうだろう、つい先日まで退屈だとか人間なんてくだらないとか言ってた割りに今では人間界を楽しんでいるのか至って普通の"人間としての振る舞い"をしていた。
(でもこの部屋以外に入ってくる場所なくない?あ…玄関?)
霊界の使いがそんな堂々と来るわけないだろうと呆れながら確かにどこから来るんだろうと考えるとピンとくるものがあった。玄関から入らないならどこからくるか。まさか時空を歪めて来るんじゃないだろうか。もしくはこの部屋に霊界と人間界を繋ぐ扉を強引にこぎつけるのか!とヤバイ事を思い立った瞬間、コンコンと何かの音が聞こえた。
「は、はいっ!!!」
ドアに向かって返事するものの音はドアから聞こえない。寧ろ背後のほうから聞こえる気がする。そう思って振り返れば窓を真っ黒なカラス…そう、カラスが嘴でコンコンと窓を突付いている。
「ちょ、ちょ!?ええええええええ!?」
「お迎えにあがりましたわ」
カラスが窓越しに話しかける。なんと非現実的な光景だろうと目を白黒させていたが一変、綾は凄い凄いと大喜びだ。九官鳥でもないのに人の言葉を話すカラスが居るのかと。
「げ、幻覚…幻聴じゃないよね…?」
(いや、俺にも聞こえる。相当精神的に疲労が溜まってるとしか思えんな
失礼な事を言いながら目を擦りもう一度綾が見ればやはりそこにはカラスが一羽。こんな人間界でいうところペットなカラスを見ていて"これのどこが使い魔だ"と思っていたが、ふと気付いた。使い魔と言えば思いつくのが自分の使い魔だ。天狼の姿である稜よりも遥かに身長の高いとても美人…な女が脳裏を過ぎった。そういえばアイツは魔界でどうしてるだろうか?なんて物思いに老ける事も今はもはやない。ついに霊界の使いが来てしまったのだから。こんな姿はきっと俺を油断させる為に違いないなどと稜が思考を巡らせていれば、綾は何の警戒心も無しにカラスを招きいれ事もあろうかそのカラスに服を引っ張られ窓から空へと飛び出してしまった。正直なところ、普通のカラスは人間を掴んで飛ぶ事なんて出来るわけがない。




目的地と思われるマンションに辿りつけば綾の身体の中で稜は"ここは本当に人間界なのか"と疑わずにはいられないような光景を目の前にしていたらしい。綾は綾で楽しかったと言いながらパタパタと羽を鳴らすカラスの後に続き足を動かす。今ここで稜と入れ替わってしまえばきっと絶対逃げるように自分の姿でどこか遠くへ行ってしまうだろう。
「ここですわ」
カラスが嘴でチャイムを器用につつく。ガキッガキッと音を立てていると、綾もこの行為にだけはさすがに野生のカラスの恐ろしさを覚えたくらいだ。きっと自分が突付かれたら頭などカチ割られそうなくらいの勢いだったからだ。

「いらっしゃ〜い!遅かったじゃない鴉」
「申し訳ございません。綾様をお連れしました」
鴉と呼ばれたカラス…鳥はバサッと玄関先を飛び回り早く中へ入れと綾を促す。オロオロしながらも靴を揃えて中へ入ると、何とまあ豪華なマンションですねとばかりにセレブなソファに身を沈めた。すると真っ赤なスーツに身を包み明るい栗色のウェーブがかった髪をふわふわさせた巨乳のお姉様が紅茶を出してくれた。うっとりするくらい美人な人だなーと綾が眺めていると女性はクスリと笑って綾の隣に座る。反動で柔らかいソファの上でよろよろとしてしまった。
「あなたが綾ちゃんね?」
「はっはい!!」
「で、中に天狼が居る…と」
見据えるような女の瞳に綾の視界を通して見ていた稜は内心眉間に皺を寄せる状態だ。
(―――この女が霊界の使いか…)
ピリッと綾は自分の中に居る稜が緊張の糸を張り巡らせたのを感じ取ったがふわりと薫ってくる香水のにおいにクンクンと鼻を鳴らしてしまった。その光景が女から見れば愛らしい小動物にでも見えたのか次の瞬間、綾の中に居る稜を探っていた瞳から一変―――…
「いやーん可愛い!!!」
ギュウウッという効果音が付きそうなくらい綾を抱きしめ胸に埋める。息が出来ない!と叫ぼうにも叫べるはずがない。稜は"やっぱり俺の勘違いか"と一瞬にして女の印象は霊界の使いから"オバサン"へと代わってしまった。

そろそろ息が持たないんですけど!と必死に両手を振り何とか離してもらおうと試みるが無意味に終わり酸欠でクラクラしかけた頃、部屋のドアがバン!と開いて数人の人間がズカズカと慌しく室内に入ってきた。
「くぉーら千波!!テメェ何しくさってんだオラァッ!!」
一番背の高い男が千波と呼ばれたナイスバディなお姉様の首根っこを掴み上げ無造作に綾から引き離す。綾はというと目を白黒させつつその光景を見ていたがクスクスと笑っていた男がそそくさに千波と引き離し反対側のソファへと促した。
他にも目つきの悪い男や騒がしい少年、美人な男の人とちょっと怖そうな黒髪の女の人と、その女の人とは全く正反対なイメージがついた男の人が呆れたようにその光景を見ていた。
そんな場所の中心でポツンと固くなって座っている綾はとてもじゃないがその場に相応しい人間とは思えない状態だった。


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