006.合同任務の前に
「まあ…一応それぞれの部屋は嫌でも決まったし、これから泊り込みの任務がある時はその部屋を使ってくれ。小物とか他にも欲しいものはあるか綾?」
俺たちのは全部そろってるから不便は無いんだと透也は言う。それもそうだろう。綾よりも前から極秘探偵として活動していたのだから十分この部屋にも慣れているし逆に竜慈なんて住み込んでしまっているくらいだ(制服や鞄に教科書までちゃっかり部屋に置いてある)
「はいはーい!俺新しいゲームが欲しい!」
「自分で買え」
スパッと言われて竜慈が唇を尖らせながら文句を言っている。
「俺はキセブレンネーザルが欲しいな」
「薬品中毒は帰れ」
「透也、ツッコミどころはソコじゃない!そもそも高校生がそんなもん何に使うの!?」
「いいか竜慈、キセブレンネーザルってのはアレルギーをおさえる薬でな」
「だから何でそんなもん高校生が使うの!?」
「俺は鼻炎でも何でもねぇし実験に使うだけだ
「「何の実験だよ!!」」
透也と竜慈に向かって樹は言ったがどう考えても危ない実験だろうと思わされた。そもそもそんな物を使う実験なんてどんな実験だ!と訊きたくなるようなもんだ。

「あ、透也―――醤油の買い置きがもうありませんよ」
「特売の広告入ってたでしょ!!」
このマンションでの家事全般は秀一がやっているらしい。こういう場面を始めて見る者からすればこの家族(に見える団体)のお母さん的存在だ。そしてツッコミ疲れたのか透也の発言が少々気になる。
「で…綾は何か欲しいものは?可愛い子には他の野郎どもとは違って何でも買ってあげるよ」
「私はなにもいらないよ。だって自分の家に帰らないとお母さんだって心配するもん」
苦笑しながら綾が言うと透也は"そりゃもっともだな"と笑ってキーホルダーの付いた鍵を綾に渡した。何だか透也が…というか男が持っているモノじゃ無いだろうと思うくらい無駄に可愛らしいキーホルダーだ。
「これはこのマンションの鍵だ。いつでも来て良いし自分の家だと思ってくれ」
「うん、ありがとう透也!」
嬉しそうに綾が笑えば透也は"笑顔もまた可愛いな"と同じように笑って綾の頭を撫でる。そんな光景を見ていた他のメンバーは"こういうのを職権乱用っていうんだろうな"と羨ましそうに見ていたが、透也からしてみればリーダーの特権だとでも言いたそうだ。

するとそんなのんびりとした空気の中、どう考えても場違いだろうと思われるクラシックの革命が流れる。携帯が鳴ったのだ。どうやら透也の着信音らしい。
「はい?あ、何だ千波か?何の用だ、さっき帰ったばっかだろお前」
せっかく親睦を深めてる最中なのに邪魔すんなとでも言いたそうに透也は携帯を持つ。
「―――なんだって?」
突然声のトーンが落ちて何かあったのかと首を傾げる綾。他のメンバーは一年ほど先まで任務の予定は無いって言っていたはずなのに早速任務なのかと溜息をもらす。
「わかった。明日だな」
そう言ってプツリと電話を切ると透也も重い溜息を吐きながら全員に向き直った。

「明日は東京の任務を手伝えってさ」

「ま、東京だったら近いし良いだろ。青森に行かされた時はサイアクだったし」
寒いしウザイ奴は居るしで!と樹が思い出しても腹が立つと言うように眉間に皺を寄せる。極秘探偵の任務とはそんな遠くまで行かなくてはならないのかと綾は心配そうな表情をする。
「ま、明日の昼くらいに東京駅に行けばいいらしいからまた明日ここに集合だな」
「現地集合じゃないの!?」
「竜慈が寝坊しないように迎えに来てやってやるんだ。感謝しろよ」
このマンションに残っているのは竜慈だけで彼は以前から何度か寝坊しては任務に遅れた事があるらしい。そして綾も急な初任務になる事から一緒に行くほうが良いだろうという透也なりの気遣いのつもりだ。
「そういう事だから綾、明日は初任務になると思うけど怖い思いさせないように俺たちが守るから心配しなくていいぞ」
「じゃあ俺たちも楽できるって事!?やった!ゲーム持ってこ」
「お前は働け」
さすがリーダーとも思える発言に竜慈が調子に乗ったが、極秘探偵というのは怖い任務ばかりじゃないかと綾は不安になる。守ってくれると言っているが、守られるだけでは足手まといにならないかと考えるからだ。かといって自分には普通の人間である以上、何の力も無い。
(本当に、守られるだけでいいの―――?)
(下手に動いて足手まといになるつもりか)
稜の言葉が正直とても痛い。その通りなのだ。自分が下手に動けば誰かが傷つくんじゃないかと、そういう任務じゃないかと容易に想像できる。なにせ普通とはかけ離れているのだから人間の常識なんて通用しないのだろう。
(いざとなったら俺に代われ。なんとかしてやるから)
(何とかしてほしいけど私の身体なんだよ?痛いのはヤダなー…)
(こういう世界に苦痛は付きもんだ。我慢しろ)
確かに…と綾は一人項垂れる。本当に明日の任務は大丈夫なのだろうかと透也を見上げるが、そんな綾の心境が分かるはずもなく頭をワシャワシャと撫でられてしまった。




そんなこんなで自宅に帰れば綾は部屋に入るなり勢いよくベッドにダイブした。
「あーあーもうっ!極秘探偵って一体なんなのよもーう!!」
じたばたともがいたところで状況が変わるわけでもないし、かといって大まかな説明は書類にまとめて部屋に置いておいたからと千波からの伝言を帰る直前に透也から聞いた。書類は部屋に入って真っ先に目がつくようにとベッドの上に置いてあったが、それをお構いなしに綾はダイブして腹の下に敷いてしまっていたらしい。
むくりと起き上がり中身を確認すると"大まかな書類"のわりには分厚い紙の束がどっさり出てきた。これ全てに目を通していたら一日が終ってしまうんじゃないかと思ったほどだ。
(さっと目でも通しておきゃいいだろ)
「だ、だよね…」
まさか暗記しろなんて言われてるわけじゃないから重要なところだけ読めばいい。そう思って書類に目を通し始めた。書類には様々なことが書かれていて現在の神奈川について、状態についてなど書かれ、理解できない事が多かったが元々妖怪だった稜には分かっているらしく、書類のことを全て説明してくれた。
本一冊分ほどあった書類を簡単にまとめれば、各都道府県に配置された極秘探偵は人間界に入り込んだ妖怪(分かりやすく言うなら稜のような妖怪らしい)が人間に害を及ぼすようなら事前に捕らえ、霊界に引き渡す事が出来るらしい。極秘探偵に選ばれる者は元々妖怪の素質があり(綾みたいに妖怪と融合したという事は異例らしい)または妖怪から人間に転生したという者が多いようだ。稜いわく、野放しにするわけにいかないから霊界が首輪を付けてるんだそうだ。
(で、重要なのがココだ――極秘探偵に選ばれた者は事実の口外を禁ずる)
「極秘探偵の活動とか他の人に言ったらダメって事だよね?なんでだろう…」
(巻き込む事になるからだ。詳しい事はこっちを読めばわかる)
「つまり…極秘探偵は普通の人間じゃない人達が普通の人間を守る為に命がけで活動するわけであって"普通の人間"を危険に晒す事は許されない、ってわけだね」
(そうだ。それに普通の人間とやらは足手まといだから囮に使われる事も想像できる)
「でも稜君、私―――普通の人間なんだけど」
(お前は並外れた霊力が備わってる。あとは同じ身体に妖怪である俺を宿しているからな)
「ふぅん…でも私こそ足手まといじゃないのかな…何の力もないし」
(力は後からでも付いてくる。それまでは俺に任せておけ)
面倒だけど付き合ってやるよ、と稜は言うが実際のところ巻き込まれたのは綾だと思える。

(ま、極秘探偵になっちまった以上、自分の命の儚さをせいぜい悔やめ。お人好し)


なんて厭味な事を言うんだろうこの人は、と綾が溜息を吐く。そのお人好しのせいで一命を取り留めたのはどこの誰だと言い返したい。が、頭の中で考えている事なんて稜には筒抜けだった。
(なんならお前の意識、取り込んで俺の身体にしてもいいんだぜ)
「ちょっと!何物騒な事言ってんの!この性悪妖怪っ!」
(お、そんな事お前が言うなんて明日は雨かもしれねぇなー)
何ともおどけた稜の口調に綾はハッとした。ついさっきまで自分の命の保障が無いだの人間界を守るのが役目だの自分の理解を超えた事ばかりで、なおかつ明日の任務で命を落としかねないと緊張しきっていたのに稜が肩の力を抜いてくれた。
(―――なんだ…イイとこもあるんだ、稜君って)
(だから全部筒抜けだっつーの)
一度止め具を外したら止まる事なく素の表情が出てくる綾。いつも何かを我慢し、全てを諦めているような綾だが、こうして素の一面が理解できてしまえば付き合いやすい人間だ、と稜は ガラにもなく思った。


「さ、今日は疲れたしお風呂はいろーっと!」
(ちょ、ちょ、ちょっと待て!)
「え、何?」
(風呂ってお前、お、俺は男だっていつも言ってるだろ!!)
「だから、いつも目瞑っててって言ってるじゃない」
細かい事を気にしないのか、それとも鈍感なのか―――同じ身体を共有している稜としてみれば感覚というものがある。けれどそんな事を一切気にしない綾に稜は深い深いため息を吐いたと同時にもしも元の妖怪の身体に戻る術があるのなら一刻も早く戻りたいと切に思った。

「ふんふんふーん、ふふーん♪」
浴槽に浸かり鼻歌を歌いながら浮かべたアヒルを指先で突付く綾。そして"目を瞑ろうにもお前が開けてたら意味が無い"と今更ではあるが綾が生活の中で入浴する時ばかり毎回嫌でも精神を磨り減らされる稜。そのうち慣れるかも知れないと思ったがさすがに慣れない。そればかりか融合してからというもの何が起こったのか稜の中で何かが変わった。

―――まさか俺が、人間を好きになるなんてな…

綾には聞こえない心の奥底で静かに稜は思った。出会った当初はお節介でろくでもない女だとばかり思っていた。けれどそのお節介に助けられた事も事実。融合してしまった事はどうしようもない事実だが、もしも極秘探偵として活動し続ければ、いずれ神と対面する事もあるだろう。生を司る神なら―――天界の神ならもしくは"融合"という事実がある以上"再生"する事も出来るだろうと推測している。もしもいつか妖怪の姿に戻れたら、という期待は少なからず稜の中にあった。


(なあ綾―――俺が妖怪の姿に戻る事が出来たら、どうする?)
天狼は魔界で禁忌とされた妖怪。そして脅威であり妖怪なんて自分の命を狙う者以外は近づいて来なかった。けれど綾は人間であるにも関わらず、妖怪である自分に手を差し伸べた。だからかも知れない―――淡い期待を抱いてしまうのは。
「戻れたら?…稜君って妖怪の時どんな人だったのか知らないから何とも言えないよ」
(そうか。それもそうだな)
何でこんな変な事を聞いたのか自分でもよく分からない。浴槽に一時間近く浸かっていたから逆上せたのかもしれない。
「でも、初めて稜君見た時は怖かったなー。血塗れで死んじゃうかと思ったんだもん」
(俺も死ぬと思った)
「あはは、でも生きてて良かったね」

生きてて良かった

そんな言葉には無縁だと思っていた稜だが、この時ばかりは"そうかもな"と一言返した。入浴を終えると疲れたと稜は先に寝入り、綾もまた明日の任務に緊張しながら静かに目を閉じた。


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