007.夢の中の現実
深い、深い夢の中へと落ちて行く。
けれど夢でもこんなにリアルに感じる事があるのだろうか、自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
『――綾――あるじ――我らが宿主――主――』
確かに、綾と聞こえた。ゆっくりと目を覚ますとそこは見慣れぬ場所だった。ぼんやりと霞む目を擦り起き上がると、そこは森の中のようにも思えた。
「あれ、何で私こんなとこに居るの…?」
普通に寝てたんじゃなかったっけ?と首を傾げるが、自分が見たことの無い服に身を包んでいる事を知る。まるで民族衣装だ。そういえば天狼である稜も初めて見た時は見慣れぬ衣装だったと思い、もしかしたらここは魔界なのだろうかと勝手に考えてみる。
「でも人間の私が魔界に行けるわけないよね。肉体が持たないって書類にあったし」
じゃあここはどこか。それは分からない。するとどこからともなく声が聞こえた。

『主―――我らが主は人間か』
『ううん、"また"天狼だって聞いたよ』
『しかしここに呼ばれているのは人間』
『人間が俺らの主?ありえねぇって。宿主になった瞬間死んでるぜ』
『生きてるわよ。あの人間』
『やめなさい、"あの人間"ではなく我らが"主"ですよ』
『おやおや、可哀相に…女の子じゃないか』
『あんな嬢ちゃんで俺たちこれから使えるのか?』
『私たちの主に相応しい者かどうか、試すまでだ』
『あの…でも…もう少しお手柔らかにして差し上げないと本当に死んでしまいますよ…』

10人か―――いいや、人ではないのかも知れない。綾は直感で感じる気配の方向へ視線を向ける。夢なのか現実なのかも分からない。だからこそ恐怖というものが先立って足がすくんで動けなくなりそうだ。
「あ、あの…誰か居るの…?」
恐る恐る聞いてみれば木々がザワザワと音を立てて何かが近づいてくる気配を感じる。
(―――怖い…)
夢なら早く覚めて欲しいと思うほどに怖い。来る!と思った瞬間には足が地面に縫い付けられたように止まり、視界に姿を現したのは巨大な山。森の中なのに緑の葉を全て集めたような山だ。その山はモソモソと動き形を変えて行く。

(山じゃない―――龍…?)

葉で彩られた龍か、ギロリを動く目のような部分を見ると相手もまた綾を見ているように感じる。するとその龍は口を開いた―――生きているのか。
『なあ、お前人間か?』
若い男の声みたいだ。何が起こっているのか状況が全くわからない。
「う…うん、人間…」
『そう―――お前、俺たちの力を使うなら今のお前の力を示さないといけないぞ』
「力…?そ、そんなもの私には…」
『じゃあ、ただの器だったってワケか。悪い事は言わないさ、今すぐ俺たちを解放しろよ』
龍はゆっくりと綾に近づき前足の片方の爪で綾の額を指す。
『今ここで死ぬか、俺たちにお前を主だと認めさせるか、選択肢は二つに一つだけだぜ』
「何で…?あなたは一体なんなの…?」
『俺たちは十龍、絶対の力を持つ十匹の龍―――俺はその一匹、緑龍だ』
「緑…龍…」

『さあ選べよ―――俺たちを納得させて力を手に入れるか、それとも手放して開放するか』

―――力?確かに今の私には力が必要だよ。夢かも知れないけど、もしも目が覚めたら極秘探偵としての任務が待ってる。どっちにしろ死ぬかも知れないって覚悟だけは自分の中でしてたつもり。じゃあイメージトレーニングみたいなものだと思えばいいのかな?でも私にはこの龍を納得させる"力"というものが無い。どうしたらいいの―――
『ダメよ緑龍、この子の力封印されちゃってるじゃない。まさかあたし達がハンデ付きで力を示されるなんてごめんだわ』
今度はどこからともなく滝が逆流したような水しぶきがあがり、水が龍の形になって浮いている。これはさすがに現実では当然だけれど夢でも有り得ない事だと思う。
「あ、あのっ!これは…夢なんですか…?」
『あら、ちょっと緑龍、この子可愛い顔してるじゃない。殺しちゃうの勿体無くないかしら』
『そんなに言うなら水龍が封印解かせればいいだろ』
『無理よ、こういうのは幻龍の専門じゃない』
『ぼ…僕…?』
水龍と呼ばれた龍は木に止まっていた小鳥に呼びかける。小鳥はビクッと羽を一瞬広げて驚くと追い討ちをかけるように緑龍が小鳥を睨み付けた。
『やれよ幻龍、全力でやってもらわないと俺は納得しねぇぞ』
『わ、わかったよ―――あの…その…ごめんね?』
パタパタと綾の頭の上まで飛んできた小鳥はシュッと姿を消して消えた。一体どこに行ったのかとあたりを見回すが姿が見当たらない。幻覚だったのかなと思った瞬間、綾の心臓がドクンと跳ねた。

「な、に―――この…感じ―――」

苦しい、そう言葉にしようとした瞬間、全身に電流が巡ったような激痛がして悲鳴を上げて綾はその場に蹲ってしまった。痛みは一瞬とは言わず綾の全身を蝕んでいく。
「うああああぁぁあああッ!!!」
痛いのと苦しいのと両方で呼吸が荒くなる。悲鳴を上げて激痛を和らげようとしても全く効果が無い。けれど他に何も方法がなかった。数秒ほどした頃か大分痛みは和らいできたが綾にはその時間が数時間にも数日にも感じられた。
「――ぅ――くっ…はぁ…―――」
まだ痛い身体は地面に転がり小さくなっている。
『緑龍―――この子、天使だよ―――!』
涙でぼやける視界で見えたのは先ほどの小鳥だ。
『天使?人間じゃないのか…!?』
『人間…ううん、天使だよ。でも何か…他にまだ何かがある…』
『ふぅん…どおりで可愛い顔してると思ったわ。開放まであとどのくらいかしら?』
『全部開放する事は出来なかったけど―――今のだけでも凄い神気…』


小鳥が言うと綾はガクガクと震える足を強引に立たせて身体を引きずるように起き上がった。綾を覆う白い光―――これが神気なのだろう。
「何を―――したの…」
『あの…ごめんなさい、あなたの力を少しだけ解放したんだ…まさか、こんな事になるなんて…本当にごめんなさい…傷つけるつもりじゃなかったんだ…』
普段の綾からは考えられないほどに鋭い視線。稜の時のように目付きが悪くて怖いわけじゃなく、静かな怒りを宿しているようで、瞳が怖い。
『オイ、お前天使なんだってな。その力を俺たちが認めればお前に俺たちの力をやるよ』
「天使…?私が…?そんなわけないでしょ…」
私はただの人間だよ、と言おうとしたがその前に身体が勝手に動き出した。


『来るわよ緑龍!』
『おう!邪魔すんなよオカマ!順番だからな!』
『ちょっと誰がオカマよ!あたしは美しいだけで性別は男だってば!!』
緑龍が言うと巨大な草木の身体を浮かせ綾に向かって飛んでいった。


―――ドンッ


森の中で爆発が起こる。おそらく力と力がぶつかり合った爆発だ。
『何だ、コイツの力―――暴走…!?』
手加減くらいしてやろうと思った緑龍だったが、どうやら必要ないみたいだ。
「私に―――触れるなァ!!」
我を失ったかのように綾の力が暴走する。それは緑龍が抑える事の出来ないくらい強大な力の塊だった。まさか―――これで"全て開放してない"だと―――!?

『代わりなさい緑龍、あたしが飲み込んであげるわ!』
水龍が水の塊をぶつけるが、そんなものでは到底止められなかった。
『くっ―――嵐龍!そっちにいったわ!!』
『む、無理ですっ!こんな…こんな強大な力、私では―――』
止めきれません、と嵐龍と呼ばれたエメラルドグリーンの身体をした龍が強風を使って起動を変えた。するとその先に見えたのは燃え盛る炎。
『止められないなら、受け入れてやればいいのさ』
ゴォォッと勢いよく火花を散らして炎の中に綾の放った力は飲み込まれた。

『ったく…熱烈なお嬢ちゃんだな…』
『バカじゃないの炎龍!』
『うっせぇ!お前に言われたくないぞオカマ水龍!』
『す、すみません私が止められなかったばかりに…!』
『あ?別に構わないさ。嵐龍じゃアレは無理だったからな』
『す…すみません…』
龍達はそれぞれ話しながら綾のほうへ視線を向ける。綾はというと肩で息をしながら正気には戻ったようだ。力の暴走をさせる天使―――それは堕天使とも呼ばれる存在。


「私は―――天使だったの…?」
そんなはずはない。天使なんて産まれてこのかた見たことが無い。自分は人間として生きてきた。母親から産まれて父親が居て、人間の学校へ通い―――ただ人と少し違うところは霊感があった。でもそれは人間だって持ってるものだ、現にテレビなどでも放送されていたのだから。
けれど綾は知らない。こんな力が自分にあったなんて。そして自分が天使だと言われて実感は無い。そう考えた瞬間、ズキンと頭が痛みその場に倒れ込み綾の意識は遠のいた。


『オイ、嬢ちゃんが倒れたぞ』
『ああ―――力を使い果たしちまったのかな?』
炎龍と緑龍が顔を見合わせていると別の声が響いた。
『まだだ、まだ何か出てくる…』
『出てくる?何者でしょう、あの少女…』
黄金に光り輝く龍と氷で出来た龍だ。おそらくは光龍と氷龍―――
『分かっているのは人間の肉体で天使の力を使う娘…というだけだ』
『しかしこれから出てくるのは妖気を感じるな』
黒い龍と体中に電流を走らせている龍…闇龍と雷龍だ。
『どうやらお目覚めらしいよ。鋭い視線でずっとこちらを見ているじゃないか』
岩で出来た龍…土龍。


「やっと見つけたぜ―――身体だけだがな…テメェら!綾に何しやがった!」
稜だ。同じ身体を共有する者として綾の異変に気付くのが遅かった。ただ夢を見ているだけだろうと思っていたら突然今まで感じたことの無いほど強大な力が目覚めるのを感じて綾の精神が感じられなくなった。
『おや、こちらは我らが主ではないようだ―――招かざる客という事かな?』
土龍が稜を視線で捕らえると稜は"綾に何をしやがった"と低い声で凄み両手に妖力を高める。
『違います―――先ほどの天使の少女と同じだ…あの少女は妖怪と融合していたのか…』
氷龍が稜の姿を見据えて言えば光龍があたりを見回して言った。
『今ここで妖力を暴発させたら厄介な事になる。幻龍、我々は"綾"を主と認めた。その旨をあの者へ伝えて来い』
『ぼっ僕…!?そんな…やだよ、怖い…』
『得意の幻術で何とかしろ』
そんな勝手な!と喉まで出掛かった言葉を飲み込んで幻龍は渋々パタパタと羽を動かし稜の視線にあわせて飛んだ。


『あ…あの…』
「誰だ貴様。使い魔じゃなさそうだな…こんなヤツ十龍に居たか?」
『ぼ、僕は幻龍…あの、あなたが新しい主なの…?天狼って本当だったんだ…えっと…さっきの力はその、凄い神気で天使だと思ったんだけど…本当に、ごめんなさい…傷つけるつもりは…』
「"新しい主"だ?ちょっと待て、話しが飲み込めない」
『天狼だったら天使とも転生するから…天使の力使う事だって…あるよね…』
「一人で話を進めんじゃねぇ!」
ペシッと幻龍を素手で叩いて落とすとガシッと羽を掴み睨みつける。これはいわゆる弱いものイジメというやつだろうか。幻龍は今にも泣きそうだ。鳥の目から涙が出たシーンを見た事は無いが。
「いいか、俺は稜だ!さっきの力ってヤツは何だ、綾の事か?アイツは天使だったのか?」
『あ、あの、あなた、主じゃないの…?』
「質問してんのはこっちだっつの!」
『えっと…あの…さっきの人は…十龍使いに選ばれたんだ…それで、みんなが力を示さないと認めないっていうから、僕が…あの…綾さん…主の封印されてた力を少しだけ解放したの…』
オドオドしながら幻龍が言うと稜は綾の顔で今まで見たこともないような表情をした。

「ほーう…お前が綾に手ェ出したわけだな…イイ度胸してんじゃねぇか…」

これではどちらが悪者なのか分からない。確か稜は綾に何かあったと思い"助けに"来たのではないか。この光景だけを見れば単に稜が小鳥を苛めてるようにしか見えないだろう。
『ちょっと、幻龍ヤバくない?』
『いや、別に俺たち間違った事してねぇし。掟に従っただけだし』
『というか、やはりあの者―――"綾"とは別人じゃないか?』
『だから言ったじゃないですか。私は確かに"転生"ではなく"融合"と言いましたよ』
『融合でも核が少女の中にあるから天狼が出てきたわけかい?』
『でしょうね。あの核をどうにかして取り除かないと一度に二人の主を持つことになりますね』
氷龍の言葉でピンチの幻龍を除く全員がピタリと硬直した。


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