008.蘇ったのは殺戮の天使
―――これは、夢…?
綾は光の中に吸い寄せられるように空を漂っている。目の前に見えるのは自分だが…

『聖那っ!』
綾が親しそうに呼んだ名前…しかし綾はそんな人物の事は全く知らないはずだ。
『おう、綾じゃねぇか。聖良は居ないぞ』
少年がニヤリと笑って黒い長髪をかきあげる。
『今日は聖良じゃなくてアンタに話しがあるんですぅー!』
『んだよ、俺はもうお前の説教なんて聞きたくないっつってんだろ!』
『あんまり聖良をからかっちゃダメだよ。聖良泣きながら私のとこに来たんだから』
綾はムニッと聖那という少年の頬を抓った。悔しそうに聖那が眉間に皺を寄せ綾の手を離させようとするが抓られたままな上に年上の綾の力には敵わない。
『全く、あんまり弟を苛めてばっかりだと堕落しちゃうからね』
『ヘッ、俺は別に堕落したって構わねーよ。生憎、聖良みたいにイイコちゃんじゃねぇしな』
『そういう事言う口はこの口かなー?あっはっはー子供の頬はよく伸びるねー』
『いだだっいだっ、は、はにゃせ綾!』
そうして綾の笑い声が木霊する。


おかしい。あの姿は確かに自分だが自分は真っ白な羽なんて持ってないし聖那という人物も聖良という人物も全く覚えが無い。首を傾げながらその光景を見ていると綾に気付いたのか"天使の綾"がふと目を細めて泣きそうな笑顔を見せた。
すると同時に騒々しい声と共に一人の天使の青年が入ってきた。
『綾様!た、大変です、悪魔が―――聖良様を!』
『聖良を!?―――まさか、結界を破ったのか』
綾よりも先に聖那が天使の青年と入れ違いに走っていってしまった。
『待って聖那!!』
追いかけようとする綾を天使の青年が止めた。
『放して!聖那が一人で行っちゃったんだよ!?追いかけないといけないのに…!』
『お聞きください綾様!あの悪魔は―――穢れすぎているのです!』
『だから何!私が行かなきゃ二人は助けられないでしょ!!』
綾が青年の腕を振り払おうとするがまだ話には続きがあると嗜める。

『どうやら―――聖那様がお遊びで聖良様をからかう為に呼び寄せてしまったものが何らかの形で聖域の結界まで破り侵入してきたものかと…』
『なっ…!?』
そうか、だから聖那はあんなに焦って聖良を助けに行ったのかと天使の綾は納得する。

『でも、だったら―――なおさら私が行かなきゃいけないよ!』

そう言って天使の綾は青年を振り払い真っ白な羽を広げた。その光景を見ていた綾自身も何故だか追わなければいけない気がして天使の姿をした自分の背中を追った。


『待ちなさい!!』
綾の小さな身体に不釣合いなほど大きな―――白銀の剣を悪魔に向ける。悪魔は今にも二人の少年を飲み込もうとしていた瞬間だった。しかし綾の大剣のほうが早かったのかバサッと白い羽が舞い落ちる間に二人の少年は綾の腕に収まりスタン、と音を立てて地面に足をついた。
『綾っ!』
『もう大丈夫だよ聖良』
『バカ、俺は助けてくれなんて頼んでねぇぞ!』
『はいはい、聖那もよく一人で頑張ったね。お子様だと思ってたけど立派な天使様だったなんて綾ちゃん驚きだよ本当に。でもちゃんと聖良に謝りなよ?』
『う…わ、わかったよ。ちょっとふざけ過ぎただけなんだ…』
今にも泣き出しそうな聖良という少年に向かって聖那はバツが悪そうに『すまん』とだけ謝り、その頭をよしよしと満足そうに撫でる綾の背後を見て聖那が声を上げた。

『綾!後ろ――――ッ!!』


―――ザシュッ


『ぐっ―――ッ…!?』
『ガハハハ!!穢れを送り込んでやった…ぜ…ェ…』
最後の力を振り絞ったのか悪魔は尖った紫の爪を綾の背中に突き刺して灰になり消えた。
『綾っ!綾―――!』
聖良が綾と叫びながらわっと泣き出し、ドクドクと血を流しながら傷口から侵食する穢れに羽を少しずつ黒く染めていく姿を見て聖那までも涙を流す。
『二人とも…泣いてないで私から早く離れて…』
地面に膝をつき弱々しい声で精一杯の笑顔を見せる綾。
『バカ綾!最後まで油断してん、じゃッ…ねえよ!』
ヒックヒックとしゃくりあげながら聖那が言えば"本当にそうだよね"と綾は笑う。

『っく…もう―――ダメ…せい…ら…私を封印…して…』
『ダメだよ!出来ないよそんな事!だって綾は―――』
『あなたは私の      …だから、私が暴走する前に力ごと封印するの…』
全てを聞き取れたわけじゃないが、聖良という銀髪の少年は決心したように涙を拭った。
『待て聖良!テメェ綾を本当に封印する気じゃねぇだろうな!』
『僕がやらないと―――綾を助けないといけないんだ!』
『力ごと封印したら綾は良くて堕天使、悪くて消滅だぞ!』

『せ…いな…私は、消滅する事は怖くない…みんなを傷つける事が、一番…こわい…』
そうでしょ?と天使の綾はその光景を見ていた人間の綾を見て笑う。少年の二人には人間の綾の姿は全く見えないらしい。
『だいじょぶ…聖良に任せて、聖那…』
羽が漆黒に染まりあがると綾が叫び声をあげて大剣を強く握る。そんな様子に一瞬たじろいだ聖良だが綾が握り締めた大剣を小さな手で取り払い、その大剣で自らの手を切り血を綾の腹にべっとりとつける。
『早く、ぐっ…―――しなさい聖良!』

『―――神気、穢れし者を清めし力、天の血を用いて悪魔を滅ぼせ!』

『バカな…聖良が神の技を使えるなんて―――!』
聖那が目を見開いた瞬間、パァッと光の結晶になり綾は跡形もなく消えてしまった。自分が消える姿を見た綾は静かに涙を流すだけだった。


『どういう事だ聖良!』
『っ―――わかんないよ…だって、綾は残ってたはずなのに…』
聖那という少年が聖良の胸倉を掴み怒鳴りつける。
『綾が―――もう全てをあの悪魔に侵食されてたから消えたのか!?それともお前が神の技を使おうとして失敗したのか!?どっちなんだ!』
『だからわかんないよ!僕だって…僕だってあんなの見たことがないんだから!』
聖良が涙を流しながら言う中で聖那はやりきれなかったのか、ただ一つ…唯一残った綾の大剣をグッと握り締めた。
するとそこへ先ほどの天使の青年が血相を変えてやってきた。

『聖良様…聖那…様…』
二人の姿しか見えない事に気付くと遅かったのかとばかりに青年は怒りを露に聖那を睨みつけて言った。
『聖那様…いや、聖那!貴様を反逆者として天界を追放する!!』
『待って、待ってください!兄さんは僕をからかおうとしただけで―――』
『聖良様、聖那は結果的には綾様を消滅させた…神を消滅させたのです!あの程度の悪魔、綾様一人なら問題は無かった、しかし!』
『ああそうだ。俺は綾を殺すつもりで悪魔を仕掛けた。聖良を利用してな』
『兄さん…?』
聖良の目が見開かれる。しかし聖那は自分の弟の顔を見ずに青年を見た。
『早く連れてけよ。堕落すんのも悪くねぇって綾と話してたとこだしな』
フンと聖那は開き直ったように青年に向かって言い、青年はより怒りを露にして聖那を連れて行ってしまった。残された聖良はその光景を見て涙を流しながら"嘘だ!嘘だ!"と連呼して泣き叫んでいた。

しかし、その光景を全て見ていた綾は聖那の言葉は嘘だと思った。本当に天使である"綾"を殺すつもりなら自分から先に聖良という少年を助けに向かったりしないと。
それにしても、自分は本当に消滅して死んでしまったのだろうかと綾は俯く。もしあの自分がもう居ないなら、今の自分は一体何なのか…ズキン、ズキンと頭が痛み出す。


私は神の身で過ちを犯した
決して償いきれない罪
全てを思い出せ
この忌まわしい力のせいで傷ついた者達を
流した涙の数を
私は知っていたはず
封印が成功し人間界へと舞い降りる事を
過ちを償う為に目覚めなさい


―――堕落した殺戮の天使として―――




(――― お も い だ し た ―――)




なぜ、今まで忘れていたのか。大切な事を。自分は何の為にあの場で消滅し、聖良に封印された力をそのままに人間へと生れ変ったのか。そうだ、聖良のあの技は天界の神が唯一ただ一人に―――聖良に教えた技じゃないか。天使の綾は自分自身。全てを忘れる事で解放されたかった。この天界から。


―――天界は私を殺戮の道具としか考えていなかったから―――


綾の力は強く、霊界、魔界、極界、天界の四世界の全てを収められるほどの力を持っていた。それが神をも越える力と天界の綾より大人の天使は知っていた。天使にあってはならない欲望か、その欲望の為に綾は"神"として崇められ、表面上だけの"偽善"を強制されていた。
騙されていたのだ、全て。それに気付いたのは先ほどの光景から二千年ほど昔の事か。逃げていたのだ自分は。全世界を賭けた戦争が起こるかも知れないのに―――身勝手過ぎた。その結果がこれかと悔しくて涙を流す。

聖那が堕天使になった。

自分があの場で油断しなければ…いや、もしかしたら油断した事さえもあの"悪魔などに"消滅出来るきっかけが欲しかったのかも知れない。もはや思い出した事が多すぎて何もかもがわからなくなってきた。

気がつけばその場には綾以外誰一人として居なくなっていて聖良が持って行ってしまったのか大剣も無い。唯一綾に残されたのは大きな後悔だけだった。
子供である二人に辛い思いをさせてしまった事への後悔、大切な時に一人で逃げてしまった事への後悔、最後まで天使で居られなかった事への後悔。

極秘探偵の資料には何て書いてあったか。綾が消滅した…いや、人間になり産まれた頃か。母親の中に"命"が吹き込まれる予兆を感じてその胎児に転移した頃、世界大戦争が起きたと記されていた。世界大戦争とは極界の王が起こした物でどの世界の神も敵わなかった―――この様子から見て世界大戦争に出た天界の神は大人になった聖良か。けれど消滅しなかった事だけが幸いだ。しかし自分がその場に居れば何とかなったかも知れない―――
「やっぱり悪い事、しちゃったよね…」
やはり自分には堕天使がお似合いらしい。消滅するのが悪魔の侵食で良かったんじゃないかと思うくらいだ。そんなものが今の自分には相応しいだろう。

「さて、と。戻らないと稜君が心配しちゃうなー」
恐らく十龍のうち幻龍によって封印を少し解かれた事で綾の本来の力の一部が暴走し最終的にこの場所へと導いたのだろう。そのおかげで記憶が戻った。あとは自分でこの封印を解いてしまえば力は戻るし極秘探偵として明日の任務にも出られる―――そう思っていたが、忘れていた。封印を解かなくとも十龍という能力が人間である自分の体内に宿った…というような話をされた気がする。

「まだ、この力は封印しておこう」
力がある事は決して悪い事じゃないはずなのに、どうしてだろうか心の奥底では力を欲しくないと思う自分が居る。矛盾した二つの気持ちがあるのは自分の記憶が全て思い出して居ない事を意味するのだろうか。きっと思い出せないものは当時の"綾の気持ち"だろう。けれどその事を本人はまだ知る事はない。


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