011.罪を犯した極秘探偵
「どういう事かしら!?何で通信機を切ったの!まだ任務は残っていたのよ!」
人間の女たちを救出して戻るなり早々千波の怒声が特殊設置されたモニター室に響き渡った。特殊設定されたモニター室は魔界に設置されているものの、人間界と同等の空気で居られるのだ。途中で魔界の空気を肺に溜め込んでいるのが限界になった人間の女たちは気を失い、崇と竜慈と透也が運んでくる事となった。
「任務が終ってないだと!?ちゃんと救出しただろう!」
稜が逆に言えば千波は呆れたとでも言うように溜息を吐いた。

「良いこと?今回のような任務中は初歩的な初歩だからって舐めてた私も悪かったわ。でもね稜君。何があっても通信を切っちゃいけないの!もし万が一あの後貴方たちの背後に危険な妖怪が出てきたら事前に知らせる事だって出来るの!それに今回のように任務を全て遂行出来てない事だってあるの!だから何があってもこちらから指示するまで通信機を切らないでちょうだい!」

そんなのただの屁理屈だろうと稜が眉間に皺を寄せる。
「だいたい、最初から任務は"人間の救出"だったじゃねえか」
稜の代わりに言ったのは葉助だった。葉助もまた同じように怒られている理由がわからないからだ。任務の内容は事前に全て千波自身が言ったのに、なぜやり遂げて文句を言われなければならないのかが分からない。
「ハァ…貴方たちにはあの後まだやるべき事があったの」
真剣な目で稜と葉助を見据えて千波は言う。

「それはあの建物に居座る―――"もう一人の人間"の暗殺よ」

暗殺という言葉にその場の空気はピタリと凍った。もちろんその事を知っていたモニター室に居たナビゲーション係の人物は別だが。
「暗殺って…なんだよそれ!そんな話聞いてねぇぞ!」
葉助が千波の胸倉を掴んで怒鳴る。
「落ち着け葉助。極秘探偵という以上、殺生の任務だって入る事はあるんだ」
「そうそう。たまたま今回の任務がお前にとって初めての殺生任務だったって事だ」
太一が葉助の腕を掴み止め、崇がこれは俺たちが悪いと言う。
「分かったなら行ってらっしゃい。今ならまだ間に合うかも知れない…逃がさないでよ」
「偉そうに言うな!俺は絶対やらねぇぞ!」
極秘探偵は人間を生かす為の存在であり、ましてや人間を任務で殺すなんて事はないはず―――だと葉助は思っていた。
(どう思う、綾)
(何かわけがあるんじゃないかな…でも、どんな人間でも殺すのは良くないと思う)
(違う。理由次第では殺す事に賛成するかどうかだ)
(わからない―――でも、理由はきいてみないと)
そう言って綾は稜と代わる。こういう時、融合してしまった肉体は不便なものだと思う。自分の意思ですぐに行動出来ないからだ。いちいち代わらなくてはならない事が面倒だと少なからず稜は感じた。

「どうしてその人を殺さなくちゃいけないのか、教えてください」

静まり返った室内で綾の声が響く。
「俺も綾の意見に賛成だな。俺たちも今までこういう任務はあったが"人間を殺せ"なんて任務は初めてだ―――太一たちは違うみたいだけどな」
「理由を"見れば"透也もわかるさ」
透也の言葉に視線をそらして太一は言う。純粋に人間界で殺人という事は一種の重罪だが殺さなくてはいけない人間が居る事も事実として受け入れてしまっているからだ。
「蘇りというものを知っているか?」
白希が静かに口を開く。

「人間界で死した者が蘇る事は一部の人間にとっては望む事かも知れない。けれど"人間界で大罪を犯した人間"が再び蘇る事は僕たちの世界で重罪とされている。もちろん人間界で同じ人間という生き物を殺す事が重罪なのも知っているつもりだ。しかし―――奴は極秘探偵でありながら人間を大量に殺していた。それを我々天界が見過ごすわけにはいかない」

「それが―――人を殺す理由なの?」
「殺す理由ではない。正確な任務の意図だ…」
白希も天使である以上、どんな人間でも、たとえ自分の世界で重罪とされる蘇った命であっても"消す"という事は好まないらしい。実際のところ一番望んでいるのは天界の神に頼んで人としての心をなくした魂の浄化・再生が出来ればと考えていた。当然今の肉体は滅びるが殺す事とは違う。しかしそんな事が出来るのは白希の知る限り、天界の神である聖良しかいないのだ。
「随分と身勝手なんだな…天使とやらは」
樹がバン!と壁を叩いて白希を睨みつける。
「それって、ようは自分たちのいう事を聞かなくなったから殺せって事じゃねぇのかよ!?」
葉助もそんな事"有り得ない"と白希を睨みつける。しかし任務は変わらないのだ。
「太一―――お前、俺に理由を聞けばわかると言ったよな?悪いが、理解できない」
「"見れば分かる"と言ったんだ。俺も初めは理解できなかったさ。だが、極秘探偵の人間の殺めかたを見りゃ納得するぞ」
アレは酷いものだった、と太一は言う。よほどヒドイ物を見せられたらしい。その酷さは"死ぬべき人間も居る"と思わざるを得ないほどにだ。
「見せてみろ」
「本当に見る気?―――俺はアレを見て一ヶ月はマトモに飯が食えなくなったよ」
透也の言葉に伊純が顔色を変えて言う。太一も同じようだったが、よほどヒドイものだったらしい。崇はといえば"あんなもん見て精神的に耐えられるヤツが居れば拝みたい"と呟いていた。
「見る人はこっちで黙って見なさい。止めるのも自由よ」
神奈川メンバーが殺生任務に関わることを初めてだと分かっていた千波はこうなる事も多少は予想して霊界の極秘テープを持ってきていたようだ。
「初めに言っておくわ―――30分見れたらたいしたものよ」
テープを見始めたのは綾以外の神奈川メンバーと葉助だ。他の東京メンバーは視線をそらし思い出したように顔色を変えている。よほど精神的にくる内容だったのは容易に想像出来る。綾はといえば、少しばかり悔やんでいるような表情の白希が気になっていた。

「白希さん―――天使でしたよね…?」
「ああ」
「本当に、死んだほうが良い人間なんて居ると思います?」
何気ない一言のつもりだったが、綾は自分が天使だという記憶が今はもう戻っている。聖良に封じてもらったはずの力と共に全てが戻っているのだ。
「答えられない」
「答えたら天界の意思に背くことになるからですか?」
少しばかり普段の綾からは考えられないほど強い口調だ。その言葉にピクリと眉を動かすと白希は拳を握り締める。天界の意思に背く事は何があっても許されないのだ。
「じゃあ―――この任務は、天界の神様の意思なんですか…?」
綾は知っている。天界の神を。そしてその前の神も―――。
「違う―――神は、お忙しい人だ。直接僕らに指示を出すのは神に仕える大天使様だ」
「大天使様?」
「今の天界は昔とは違い神に仕える者を大天使と呼ぶんだ―――こんな事、お前に言ってもわからないだろうが」
話はそれだけか?と白希は綾を冷たく見据える。その瞳には"お前もテープを見てこい"と言っているように思えた。何せあのテープには惨たらしい一面ばかりを収録しているのだ。アレを見ればこの少女の精神は壊れてしまうかも知れないが、それでも今の任務を無理矢理でも遂行する為には見せるのが一番早い方法なのだ。

「はい。それじゃあ行ってきます」
そんな白希の意図を裏切って綾はにこやかに笑って言った。下手をしたら人間を殺す事を何とも思ってないんじゃないかと思われてもおかしくない行動だ。
(お前、本気で言ってるのか!?)
稜ですら納得できないこの状況を迷いなく"行ってきます"だなんて。
「太一…さん?えーと、指示お願いしますね!今度は通信切ったりしませんから!」
綾の笑顔に呆気に取られながら太一は勢いだけで頷いてしまった。

「ちょっと待て!どうして―――どうしてお前は何も躊躇わず人を殺しに行くんだ!」
白希が綾の腕を掴み行動を制止する。すると綾は"誰が殺すって言ったの?"と振り返る。
「私、殺すなんて言ってないもん。"説得"しに行くだけです!」
「説得―――!?」
白希が何を言っているんだコイツは?という視線を向ける中、呆気に取られた瞬間を利用し綾はするりと白希の手を払って一人で行ってしまった。


(オイ綾!お前、何を考えてるんだ!)
(あはは、だいじょぶだいじょぶ!だって神様の命令ってワケじゃないんだし)
(そういう問題じゃない!お前、本当に説得できると思ってるのか!?)
稜に言われて少し眉を寄せるが、正直なところ説得出来るなんて思ってない。それは極秘探偵でありながら過ちを犯した人のテープとやらを見た東京メンバーが表情や雰囲気で全て語っていたではないか。けれど"純粋な天使"として白希はこのやりかたを間違いだと心で思っている。ただ口に出来ないだけなのだ。
自分が消滅し人間になるまでの間―――短い間かもしれないが、そんな時間で天界は変わってしまったようだ。聖良は何をしているのだろうか?何も出来ない子供のままじゃない事は自分がよく知っているはずだった。だとしたら絶対に変えてみせなくてはならない。まずは今目の前で苦しんでいる白希をこの任務という鎖から救わなくてはならない。それは綾に出来る一つ目の償いだった。
『綾、その道じゃなく少し遠回りになるが隣の道を行ったほうが良い』
「はーい!」
太一の指示を聞けば今まで通ってきた"近道"と思われる道ではなく安全だが少し遠い道だという事に気付いた。なんだろう、極秘探偵の任務とはよく分からないが悪いものとは思えない。
『その扉の奥に居る。ここで一度通信を切るぞ。バレたら困るからな』
「わかりました」
『お―――ちょっとまて、白希が言いたい事があるらしい』
建物についた綾は壁に寄りかかり一つの扉の前で乱れた息を整えていた。そして通信機に耳を傾ける。
『き、気をつけて―――怪我をしないように』
少しはにかんだ白希の声にぷっと吹き出してしまった。
「大丈夫です。白希さんも"殺したくない"んですよね」
『な、何を言っているんだ!―――これは任務だ…映像だけはしっかり見ているからな』
そう言ってプツリと通信は途絶えた。真実を言えない天使なんて哀れ以外の何者でもない。今の天界はそれほどまでに変わってしまったのだろうかと綾は溜息を吐いて扉を開ける。

扉の前には一人の生きているか死んでいるかも分からないような、焼け爛れた顔に包帯を巻いた男が椅子に座っていた。
「待っていたよ、極秘探偵―――」
しわがれた声に綾はゾクリと身を振るわせると必死に声を振り絞って相手に話しかけた。
「あ、あのっ…私、あなたを殺す任務の最中なんです!」
(バカ!何正直に言ってんだ!そこはもう少し捻るとこじゃないのか!?)
「でもっ!でも私はあなたを説得しに来たんです!!」
真剣に言う綾に相手はゆっくりと振り返ると醜悪な表情を見せた。
「説得?ククッ…これはこれは…変わった妖怪も居たものだ」
「妖怪…?わ、私は―――」
「極秘探偵とはな、元々妖怪だった者の集いだ―――重罪の妖怪ばかりの、な」
「でも、あなたは人間じゃ…?」
「クックックッ…ハッハッハ!確かに今は人間だ。人間としての肉体がある!けれど妖怪の記憶だって残っているのだ!だからこそ―――人間の肉がたまらなく喰いたくなる」

そう男が言った瞬間、ザシュッと音を立てて綾の腕にナイフが突き刺さった。
「―――ッ!!!」
「良い表情だ…怯える人間の顔が好きだ…だから何人もの人間の肉を裂き食ってきた…」
きっと今頃みんなが見ているテープにはそういった映像が流れているのだろうと想像すると見なくて良かったと心底思う。そんなものを見てしまった日には夢にでも出て魘される事になるだろう。
「それなら―――その魂から浄化、しましょうよ…」
綾はグッと腕に突き刺さったナイフを掴み相手の腕ごと精一杯の力で引き抜く。血がボタボタと床を汚すが、そんな事に構って居られない。
(オイ綾、俺に代われ!俺が代わりに殺してやる!)
稜の静止を振り切って自分の傷口に手をあて血を手のひらにすくい、男の身体を突き飛ばして離すと同時に胸にべったりと擦り付ける。
「浄化だと?笑わせるな!俺はまだ人間を喰いたい!お前も妖怪だったならわかるはずだ!」
私は妖怪じゃないの、と呟いて綾は男に両手を向け"あの技"の呪文を唱えた。

「神気―――穢れし者を清めし力、この血を用いて魂を浄化せよ!」

『―――神気、穢れし者を清めし力、天の血を用いて悪魔を滅ぼせ!』
そう聖良に悪魔に対する封印術を教えたのと同じものだ。けれど全ての術を生み出したのは綾から―――天界の大天使、神である綾なのだ。人間や妖怪を浄化するくらいなら容易い事。封印する事はまだ全ての力を解放していない今は出来ないが。
「グッがぁぁあああ!やめろ…!ヤメロオォォオオオオ!!」
浄化の際に苦しむ分だけ魂は浄化される。男の苦しみが途絶えるとパァッと白い光に包まれそこにはもう男の姿は無かった。


「し…信じられない―――これは、浄化…?」
モニター室では白希が目を見開いてその光景を目の当たりにしていた。
「浄化って何だよ?アイツ、綾が殺したのか…?跡形も無く―――?」
「いいや、殺していない―――蘇りの肉体と魂は強制的に天界へ再び舞い戻されたんだ」
「天界に…?」
「でもあの術を使えるのは神である聖良様のみのはず―――それが、なぜ!?」
太一に落ち着けと言われても一向に聞いていない。理由はわからないが何故か人に話を聞いてもらえないようだ。そんな事にも慣れてしまったのか普通に話を続ける。
「神様しか使えないっつーんだったら、それは綾が神様と同じかそれ以上に清い力や心でも持ってたからじゃないのか?」
「清い心―――神をも越える力―――?」
天界の歴史に深く刻まれるのは今の神である聖良の先代である神だ。今では名を知る事を禁止されている…というのも神である聖良が"その名を口にする事は禁ずる"という掟を出したからだ。それはもうずっと昔の事だから名前は白希自身も忘れてしまった。
昔、そんな力を持った"殺戮の天使"とされた哀れな神が居た事を覚えていただけだった。


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