012.天使が人に恋をした瞬間
任務を遂行しモニター室に何とか戻った綾は苦痛に苛まれていた。
「いっ…痛いっ痛いー!!痛い痛い痛いいったぁぁあああいっ!!」
「ちょっ、あっ、暴れないでくださいっ!」
戻るなり早々白希の人が変わってしまったかのように少し前のようにつっけんどんな口調ではなく敬語になっていることに疑問を覚えたが、今はそれどころではない。こんな傷を負ったのは初めてである綾。痛いのが嫌いだと任務の前にも言っていたではないか。事実相当痛い怪我にボロボロ涙を流しながら喚き叫んでいる。
「い、今治してる最中なんです、もう少し大人しく―――」
「いったぁぁい!!もうダメ!死んじゃう!痛い!!」
まさかこんな傷でキンキン喚き叫んでいる少女がたった10分足らずで、しかも一人で任務を遂行したと誰が思えようか。静かにテープを見ていたはずのほかのメンバー達すらも驚いてテープから視線を外してしまったくらいだ。もっとも、見ていたいと思わなかったから視線を外したのだろうが。
「うわっどうしたんだよ綾!?」
樹が驚いたように綾の傷を見て"怪我薬あったよな"なんて恐ろしい事を言っている。どうやら先ほどまでのテープの内容は"気持ち悪かった"という印象だけで内容はほぼ全て吹き飛んでしまったらしい。
「情けない!一人で任務に行って怪我して!俺が居ないとダメじゃねぇか!」
フンと葉助がむくれると"自分は何もしてないクセに"と太一が言った言葉に癇癪を起こす。

「まったく―――怪我をしないように、と言ったのに…」
ブツブツと文句を言いながらも白希の能力により治癒された傷は徐々に塞がっていく。
「あ…あんまり痛くなくなってきた…かも?」
「治っているんだから当然です―――綾さん」
「は、はい?」
「あなたは―――いえ、何でもありません」
敬意をはらっているから敬語なのか。それとも他に何かあるのか。白希は綾に対して何か他の者たちとは別の一線を引いているようだった。それにしても"あなたは―――"の続きが気になるものだ。白希はあのあと"あなたは―――何者ですか?"と問おうとしていたのだ。けれど何者であれ今は極秘探偵という事に変わりない。だからこそ何も言わなかったのだ。

暫くして綾の傷が完治すると再びいつもどおり(といってもまだ他の者と知り合って一日二日程度なのだが)の元気娘に戻っていた。
「よぉーっし!任務も終ったし、この後皆でどこか行こうよ!」
竜慈に次ぐムードメーカーっぷりを発揮しているが綾の場合はムードメーカーというよりも空気が読めないだけだろう。何せこの面子は綾以外の全員が"あのテープ"を見てしまっているのだから。こんな時に焼肉でも食いに行くか!なんて言ったら袋叩きにあってしまう。
しかしそんな綾の能天気さに逆に心が晴れた者も居る。
「いいねぇ。綾ちゃんのそういうトコ、俺は好きだよ」
そういうトコ、なんて言っておきながら会ったのは今日が初めてな伊純だ。
「それじゃあどこに行こうか?やっぱりこれってデートのお誘いだよね。いいねぇ、戦場にたった一輪咲く花みたいに純真無垢で穢れない子に―――」
「ハイハイハイ、俺の綾を口説かないでくださいね」
秀一が綾と伊純の間に割ってはいるとその後に続いて和臣も入ってきた。
「飯―――食いに行くぞ」
無表情だから怒っているのかと思えば口から出てきたのはそんなセリフで思わず綾は噴出した。どうやら極秘探偵とは言ってもやはり"生きている"のだ。こういった息抜きも必要だろう。
「あたしはこれから千波と霊界にこの事を伝えてくる」
「えー、麻弥ちゃんだけで行ってよー、私綾ちゃんと"焼肉"食べにいきたーい!」
千波の発言にこの時同じ場所に居た全員(というかテープを見たことのある者のみ)が空気読めよお前!!と心の中で叫んだのは言うまでも無い。
「白希さんは来ますよね!?ね!せっかく任務も円満に解決した事だし!」
「えっ、いや、僕は天界に―――」
ぎゅっと腕を捕まれぐいぐいと引っ張られるとさすがに嫌とは言えない。しかたなくこの後の打ち上げ(という名の親睦会)に参加することになったのだ。


「というわけで!綾の初任務・大活躍を祝ってカンパーイ!!」
という事で神奈川メンバーと東京メンバーは東京メンバー達の本拠地(としている場所)である太一の家に来ていた。家…といえば普通の民家を想像するが、そんな想像をはるかに超えているくらいに豪邸だ。そしてその庭で打ち上げという名のバーベキューを始めた。当然だが肉抜きのバーベキューであり、物凄く味気が無い。
「俺いつも思うんだけどさ、極秘探偵ってどこのグループにも必ず一人は金持ち居るよな」
竜慈が驚きを通り越して呆れてきたというように言葉を吐く。
「へぇー、そうなんだ。じゃあ私たちのところで言う透也がそうなんだね!」
「いや、ここは透也だけじゃないぞ。実は秀一も―――」
「余計な事は話さなくても良いんですよ樹」
秀一にゴツッと頭を殴られ黙り込む樹。そして凄いなーお金持ちって!なんてはしゃいでみる綾。実のところこうして"友達"と集まってワイワイ騒ぐ事は初めてなのだ。人間として産まれた後もその前も…綾にとって友達と呼べるような存在はなく、いつも一人で孤立していたからだ。
「ささ、綾ちゃんも飲みなって。綾ちゃんの歓迎会でもあるんだからさ」
伊純がコップになみなみと水のようなものをそそいで綾にすすめる。
「あ、ありがとうございますっ…あの、私こういうの初めてで…ちょっと嬉しいかも」
はにかみながら笑顔で言う綾に伊純はどことなく胸のトキメキを感じた。まさかこれが恋?だなんていうほど子供でもないせいか、素直に"可愛い子だな"と純粋に思えた。
「おいお前!」
ドカッと綾の隣にオレンジジュースが入ったコップを持って豪快に座り込んだのは葉助だ。
「な…なに?」
「いや、その…稜に一言礼でも言ってやろうと思って…それと!わ、悪かったな、足手まといなんて言って」
ムッと唇を尖らせて言う葉助。言い終えると照れくさいのかそっぽを向いてしまった。
「ううん、いいよ!だって本当に足手まといだったし」
にへーっと緩く笑って綾は言ったが、次に吐かれる言葉で葉助はピタリと固まった。
「それより―――名前、何だっけ?」
こ、コイツ俺の名前知らなかったのか!?と思うよりも前にブチンと葉助の癇癪が起こる。任務中も散々名前呼ばれてたはずなのに!
「俺は葉助だ!稜の永遠のライバル葉助だ!覚えときやがれ!!」
「え、稜君のライバルだったの?」
(いや、俺は何とも思って無いぞ)
稜の声が聞こえたが葉助には当然聞こえることもない。
「フン!今日の任務では助けられたけどな、必ず借りは返すからなっ!」
ぷいっと顔を背けてしまったが今時「ライバル」だなんて言葉を恥ずかしげも無く口に出来る奴が居るなんて―――と葉助のセリフを聞いてしまった東京メンバーはブッと飲みかけていたものを噴出し、食べかけていたものを喉に詰まらせて咽た。
「なっ何がおかしいんだ!」
「い、いや、うん、良いんじゃないかな!ら、ライバル…ぷっ…」
「そ、そ、そういう仲間が居るのもいいもんだよ、ライバ、るっ…!!」
崇と伊純が言ったものの、結局堪えきれずにその後は腹をよじりながら笑いだし、葉助は怒って二人を追い回し、綾は何の事かさっぱり理解出来ず、その中にいる稜は変な人間だと生温い視線を送っていた。


「おーい、あんま騒ぐなよー、妹が昼寝してるはずだから」
「えっ!?太一妹なんて居たのか!?」
透也が驚いてきくと、随分歳が離れた妹が居るらしい。
「ま、まさかその子もいつか東京メンバーになったり…」
「ないな。それは。椿はいたって普通の人間だからな」
「へー…ま、普通の人間だったら関わらせないのが一番だな」
「わかってる」
なんて静かで大人な会話なんだろうと透也と太一の会話を耳にしながら綾は思う。そして視線を少しずらせば静かにぽつんと空を見上げている白希が目に入った。


「はーくきっ!」
綾がこっそり近づいて行くと白希がわっと驚きの声をあげる。
「あ―――綾さん!」
「つまんない?やっぱり無理矢理連れてきちゃったから怒ってる?」
「い、いや、そんな事は…」
ただ何を話せば良いのかわからない、そんなものだろう。白希は本来任務を極秘探偵たちに告げるだけであってこのように皆で飲み食いした事なんてなかったのだ。
「その…今日は、ありがとうございました」
白希がぽつりとぼやくと綾は何のことかわからないというように首をかしげた。
「僕は今まで、天界の意思が全てだと思っていた。だから人間には殺さなくてはならないものも居るんだと自分に言い聞かせてきた―――けれど、やはりそれは間違っていると今日のあなたを見ていたら明確にわかったんです」
たとえ自分の世界で重罪である蘇りという行為だったとしても、神が決めたご意志だったとしても、やはり人間という生き物を裁くのは別世界の自分たちではなく、人間なのではないかと。それに天使というのは誠実でなければならない。穢れなく誇り高く、平等に優しく―――そんな単純で当たり前のことを忘れかけていたのだ。
「でも…それを思い出させてくれたのはあなただ」
「そ、そんな!私何もしてないよ!」
「いいえ、あなたは神のみが使える再生を使い、あの穢れた魂さえも救ってくれた…どんなに醜悪な魂だったとしても、どんなに罪を犯した人間だったとしても、僕は人を殺すべきではないと思っていたんだ…なのに神の意思だと自分に言い聞かせ極秘探偵たちを今まで苦しめてきた」
こんな私が一番、許されざる存在なのにと白希は悲しそうに言った。そんな姿を見て綾の中に芽生えるのは自分のせいだという罪悪感ばかり。自分があの時逃げ出さなければ、消滅せずにずっと天界で神として過ごしていれば―――苦しむのは自分だけであり、他の者は皆幸せに過ごせたんじゃないかと考える。けれど過ぎた事はもうどうしようもないのだ。
「一番―――許せないのは自分です」
「え―――?」
「一番許せないのは自分自身なんです。だってそうでしょ?いつだって"ああすれば良かった"とか"こうしてれば良かった"なんて後悔ばっかりして…後悔するくらいならやっておけば良かったって甘えてる自分が腹立たしくて、一番許せなくなる」
白希に言ったってどうなる事じゃないとわかっていても、それでも口に出したくなる弱さ。

「でも、悔しいけど…自分次第で変えていける世界なんだよね」

そう呟いた綾の言葉に白希はハッと息を呑む。確かにその通りだからだ。今の天界に納得出来ないというのなら、話し合う事だって出来るはずだ。天界の神は慈悲深いとされているのだから。本当にそうなら自分でも何か変えられる事があるのかもしれない、と。
「綾さん―――あなたは…純粋な心を持っているんですね」
本当に、神のような―――。
「そんなあなたに惹かれてしまう私は、やはり天使ではいられないのかも知れない」
どこか熱を帯びた瞳に見据えられ綾は一瞬目を見開いた。
「何 し て る ん で す か ?」
そこへ白希の頭をガシッと鷲掴みにして秀一が満面の笑みで(目が笑ってない!)やってくる。
「きっ…貴様、何をする…!」
ミシミシと頭蓋骨が悲鳴をあげている気がする。物凄く頭が痛い。
「それはこっちのセリフです。何二人して見詰め合ってるんですか」
天使のクセに、と秀一がボソリと言う。
「貴様には関係ない事だ!さっさと自分の持ち場に戻ったらどうなんだ、主婦!
「誰が主婦ですか!誰が!」
そんな二人のやりとりを見て思わず笑みが零れる。極秘探偵というものはなかなか奥が深いようだ。こうして誰もが悩みを抱えているのだろう。そして―――初めての任務を終え、少しだけ今までとは違った世界を見た気がした。


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