013.一海道場に仕掛けられた罠
東京メンバーとの合同任務を終えてから暫くの月日が経った。千波が言ったとおり一年間は本当に任務も無く、綾は無事に中学二年生という年齢を重ねていた。その月日は稜とずいぶんと打ち解け、暇があれば他のメンバー達と遊びに出かけたりと一年間で随分と世界が変わったような気がしていたが、久々に神奈川メンバーたちの住居へ足を運ぶと皆はもう待ちくたびれたというように、それぞれが好きなようにくつろいでいた。
「お、お邪魔します」
やはり慣れない敷居をまたぐときはついクセが出てしまう。
「綾、お邪魔しますじゃなくて"ただいま"でしょう?」
秀一に言われてはっとなる。そういえば二度目にこの場所を訪れた時にも言われたのだ。ここは自分の家だと思えと透也に言われ、合言葉ではないが"お邪魔します"なんて他人の家に上がるような言い方は俺が許さないぞ、と。
「えへへ、た、ただいま」
少しはにかみながら言うと皆がおかえりと返した。まるで普通の家庭のようだ。

「それにしても、千波遅いですね」
秀一がテーブルの上にスコーンと紅茶とジャムを出してぽつりと呟く。何となく去年の任務の時に白希に"主婦"といわれていた事を連想させてしまった。確かに主婦っぽい。
「何でも重要な書類持ってくから待機してろっつってからもう三時間だぞ」
透也が本に指を挟み紅茶を取る。
「まあ気長に待てばいいじゃん」
竜慈がゲームの画面を見つつコントローラーを片手に持ち、もう片方の手でスコーンに手を伸ばし口へと運ぶ。何ともまあ普通の少年みたいな感じだ(いつものことだが)
「でも気になるよな。こんなに待たされたのは初めてだし」
樹はというとノートパソコンをテーブルに置きカタカタとキーボードを叩きながらマグカップを手探りで探している。そこへ秀一がコーヒーの入ったカップを置く。なんだか一見面白い光景に見えてしまうのは気のせいだろうか。それよりこの一年で秀一のお母さんっぷりは嫌というほど見せられた。確か一番驚いたのは綾がいつも中学へ向かう時にお弁当を持っていくのだが両親が旅行に出ているからお弁当は何が良いかと秀一にレシピを聞いてみたら嬉しそうに自分が作りますと言われた事がある。しかもその時作ってきたお弁当が驚くほど豪華だった。
「用が無いなら俺は帰る」
和臣は飽きたのかソファから起き上がる。そしてソレを"まあもう少し待ちましょう"と宥める秀一。―――あれ?この人本当にお母さんだったっけ?(違います)

「でも何なんだろうね。ちょっと気になるかも」
「そうですね…あまり厄介な事じゃないと良いんですけど」
紅茶を飲みながら綾と秀一がのほほんとした雰囲気で居ると、突然慌しく千波が姿を現した。それに続いて麻弥、白希と部屋に入ってくる。
「ごめんなさい!待たせたわね!」
よほど急いで来たのだろうか。六枚の書類の束を持って千波が言う。
「はいコレ。重要なものだからそれぞれ目を通して」
ついでにボールペンまで渡された。何か記入する事でもあるのだろうか。

「ねね、千波ちゃん!これって任務なの?」
よく状況を飲み込めない綾がきくと千波はパチンとウインクをしてこれから話す事!と告げる。
「今回のは任務っていうより"任務の準備"よ」
「何だってまたそんな面倒そうな事を」
秀一が書類を取り視線を移すと、そこには"狙撃手試験"と書かれた用紙が入っていた。
「詳しい事はあたしが説明してやる」
麻弥が綾の書類をぱっと取り上げて皆に向かって言う。

「次の任務ではいわゆる"資格"というものが必要になる。今までは簡単な任務ばかりさせてきたが、綾の実力もわかったところで現在神奈川が一番この任務に適していると判断した。よって今後の任務は非常に難易度の高いものばかりを持ってくる予定だから魔界の立ち入り禁止区域に入る事も多くなる。その地区に入る為に必要なものが資格だ。色々探してやったがスナイパーの資格が一番簡単そうで一番重宝されるものだからコレにした」

どうやら狙撃手試験とはスナイパーの資格を取る為のものらしい。何だか射撃など色々な物を想像させてしまうのだが気のせいではないだろう。心なしか和臣が興味を持っている。
「まあスナイパーといっても魔界の区域を自由に妖怪以外が出入り出来るようにと霊界が一定の人間のみに与えた資格だけどな」
麻弥が言うにも既に誰一人として聞いていない。寧ろ面白そうだの楽しそうだのとワクワクして目を輝かせているじゃないか。緊張感のかけらもないグループだ。
「言っておくが、その資格を取るには生半可な力量じゃ不可能だぞ」
「っていうと?」
「今すぐこの試験が行われるわけじゃない。半年後と書いてあるだろ?だからそれまでの間、お前たちには人間界にある一海の道場で修業して力を蓄えてもらう」
一海という言葉に綾と秀一以外全員の動きがピタリと止まった。何だか良くない雰囲気が見え隠れしているのだが気のせいだろうか。
「かず…み…しはん…さま…」
ガクガクブルブルといったように竜慈が震えだす。一体何があったんだろう。
「いや、俺は―――修行は間に合ってるから」
「たわけ」
透也が今にも逃げ出しそうな声で言ったのを麻弥が遮る。
「俺ももうあの修行は十分だし問題ないだろ」
うん、そうだ!そうに違いない!と樹が自己完結している中で和臣も「帰る」と早々に切り上げようとしている。どうやらよほど行きたくない場所らしい。
「全く、良いじゃないですか面白いおばあさんだし」
秀一がにこやかに言うと"問題はそっちじゃねぇ!"と口をそろえて言われた。
「そんなに怖い所なの…?」
綾が和臣に聞けば和臣は無言で頷く。怖いという表現じゃ足りないほどらしい。

「綾、気をつけるんだぞ。あそこには化け物のような娘が居て―――」
「それ、本人に伝えたらどうです?」
「むり!!!絶対むり!!殺される!!」
今や透也と竜慈の脳内ではジョーズのテーマと共に恐ろしい光景が浮かんでいるに違いない。

「とにかく、連絡は入れておいたから今から行っても大丈夫よ」
「毎度の事だが空気読めお前ー!!!!」
透也だけじゃなく今この場に居る一海に怯えていたほぼ全員が思った事に違いない。


それから数時間。嫌がる数名を引き連れて一海道場へやってきた神奈川メンバーだが、道のりは果てしなく長そうだと実感した。
「…なんで門までこんなに長いの?」
すぐ目の前にあるはずの道場の門がとてつもなく長い道のりに感じるのには理由があった。

ビュンッ

「ふぉぉおおおおっ!?」
「なっ!?何今の!?何で弓!何か弓!弓!」
恐る恐る竜慈が最初の一歩を踏み出した瞬間、どこからともなく弓が飛んでくる。それを辛うじて奇声を発しつつも交わすと、竜慈のすぐ隣に居た綾の鼻先を掠める。一瞬にして張り詰めた緊張感。そして誰しも一歩足を進めるごとに警戒心を剥き出しにしている。
(どう考えてもおかしいだろ!)
稜までもがこの"人間界の道場"に違和感を持っている。当然だが普通の道場は歩くだけで弓が飛んできたり、ましてや地雷でも仕掛けられているかのような爆発は起きない。

「さーっと進めば良いんですよ。さーっと」
秀一だけがこの状況を楽しんでいるかのように思えるが、彼が一歩踏み出すごとに被害を被るのは残りのメンバーだ。
「ちょ、ちょっと待て秀一!歩くなああああ!!」
「え?もう目の前ですよ門は」
爽やかな笑顔で一歩を踏み出した瞬間、嫌な予感がしたのか引き止めたはずの樹の姿が消えていた―――と思ったらとても深い落とし穴に(しかも丁寧に針山だ)ぶら下がっていた。
「お…落ちなくて良かったね樹…」
引き攣った笑顔で言ったものの、顔色が明らかに良くない。これはこれでトラウマになりそうな経験だ。みんなが行く前に嫌がっていたのも納得できる(秀一だけが楽しそうにしている理由も何となく分かってきた)きっと秀一はどこに何が仕掛けられていて、なおかつどこに足を踏み入れれば誰の位置に何が起こるのか想像がついているのだ(おかげで最初以外まだ綾には何もない)

そうして一時間半ほどかけてたった十メートルほどの距離にある門を潜ったのだ。恐ろしく長い一時間だったと思う。門を潜ってしまえばきっと明るい道場なんだと微かな期待をしていた綾。しかし道場の中に入るまで恐ろしい仕掛けは続いているようで…
「だだだ、だめ、ダメだ俺はもうこれ以上進めない!」
「俺は 進 み た く な い ! ! 
竜慈と透也はガクガクと震えながら真っ青な顔で門で足止めを食らっている。樹も微かに震えているようだが…
「へっ、おおお、お前ら怖いんだろ?こ、ここ、こんな軽いトラップに引っかかるなんてネズミくらいだぜっ!」
「説得力皆無だな」
明らかに怯えている樹に呆れたように和臣が言う。
「綾、ここからは仕掛けがさらに危なくなりそうですから俺と一緒に行きましょうね」
「え!?だ、大丈夫なの秀一と一緒で!?」
「どういう意味ですか?」
今凄く失礼な物言いに聞こえたんですけど?なんて笑顔で返されたらそれ以上何も言えなくなる。…どこまで黒くなれば気が済むんだこの人は。
「い、いっそ稜君に変わるっていうのも一つの手段だよね」
(俺を巻き込むな!!!)
「そうですね…大事な綾に怪我でもされたら困りますし」
稜の心の叫びも虚しく、この人間を殺る為に作られているとしか思えない仕掛けを乗り越えるには精神的に綾には辛すぎたようだ。
(ごめんね稜君っ!私を守ってね!)
そう言残して入れ替わると、その反動でバランスが崩れたかのように一歩足を踏み外した―――途端、頭上からタライが落ちてくる(なんて古典的なんだ!)が、それを間一髪交わすとさらにまた一歩踏み出る形になり、次なるトラップが…

ゴゴゴゴゴゴ

「な…何の音だ…?」
「さあ?後ろから聞こえますね」
稜と秀一の言葉に全員が視線を背後に向けた時―――坂を逆走してくる巨大な岩がこちらに迫ってくるではないか。
「んなっ!?何であそこ上り坂じゃないの!?」
「あんな丸い岩なんて見たことねぇよ!」
「重力無視か!!!!」
「もはや人間界の自然そのものをバカにしてるな」

焦りと怯えとが入り混じった声色でその後全員が全力疾走で道場の中に逃げ込んだのは言うまでもない。


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