014.七海、頑張ります!
道場に入るまでが問題なわけで、意外と道場の中は外に比べれば遥かに平和なものだ―――と稜は思った。
「よく来たな。千波から連絡はもらってる」
出てきたのは随分と小柄なお婆さんで、少々鋭い目付きがきつそうな印象を与える。が…霊界とも関係が深い人物なのだろう。一見して随分と人間離れをした威圧感がうかがえる。
「これから数日お世話になります」
にっこりと笑って秀一は言うが"数日も世話になりたくねぇ!"と他の一同は心の中で(表情には出ていただろうが)思った。
「で、天狼はそこの小娘かい?」
「こむすっ…!?…あ、ああ…」
小娘、なんて言われて「はいそうです」なんて反応できるわけがない。俺は男だ!と返答しようにも肉体は綾なだけに無理がある。渋々返事をしてみれば一海はフンと鼻先で笑って稜を上から下までじっと見据える。
「な…なんだよ?」
「ふむ。禁忌だ何だと言われても人間を見る目はあるみたいだな」
「どういう意味だ!」
遠まわしにメンクイとでも言いたいのかこのババァは!と稜はカッと頭に血が上る。こういう稜を見ていると本当に人間界で過ごすようになってからというもの、性格が非常に丸くなったと思える。
「まあいい。修行は厳しいがその人間の体は耐えられそうか?」
「問題ねぇよ」
他人に稽古をつけてもらう事なんて気位の高い稜からしては相当な屈辱に違いない。こんな時、元の自分の肉体があれば…なんて考えてしまうが、そんな時ひょっこりと襖の隙間から視線を感じた。

気になって稜は視線をさり気なく襖の奥に向けると、大きな目とバッチリ視線が合った。
(なんだアイツ…?この道場の座敷童子か何かか?)
そんな事を考えていると、一海が襖に向かって一声。
「七海、お前も手伝ってやりな。あたし一人じゃこのクソガキ共が逃げ出すからね」
「ちょ、ちょっと待てばあさん!本当に怖いのはあっち…」
樹が悲鳴にも似た声で一海を止めようとするが、言い終わらないうちに素早く頭を叩かれる。
「元気が有り余ってるなら腕立て千回やっときな」
話はそれからだよ、と一海は樹を睨みつけ稜に向き直る。
「ふむ…お前さん、天狼の容姿は人間に近く綺麗どころだと聞くが―――七海の相手をする気はないかね?」
「ねぇよ!そもそも外見だけで判断して妖怪に娘差し出すババアがどこに居るってんだよ!」
「ここに居るだろ?」
「居ても断固拒否だ!」
「あの子も許婚くらいそろそろ決めても良い頃なんだがねぇ」
「だからって種族を違えるなクソババア」
まああの子は性格が極端に悪いから自分が気に入らない人間の男なんて片っ端から捻りつぶして終いには警察沙汰になりかねないか心配なんだ―――というのが一海の思うところであり、孫娘の性格は良く知ってるし趣味も十分把握している。ならいっそ妖怪でも顔立ちが整っていれば良いだろうと稜に言ってみたわけだが―――ちらり、と遠慮がちに襖の奥から少女がこちらを見ている。言うまでも無く彼女が七海だ。
(ああやって様子をうかがってるあたり、本人も気に入ってるみたいだしな)
孫娘が可愛いもので少しでも将来的な恋路に協力してやろうというささやかな肉親の情だ。しかしそんな事を全く知らない稜からすれば「だからあいつらは行きたくないって言ってたんだな」と納得するしかなかった。きっと他のメンバーも外見はそこそこ良いほうだから強引に同じ事を言われたのだろう。
もちろん実際は全く別の理由で"行きたくない"と思っていたのだが。

「まあどちらにせよお前さんの修行は七海に任せる」
「はあ!?ふ、ふざけんな!俺は―――」
「あやつはああ見えても式神の使い手だぞ?人間界でもあれほどの使い手はそういまいて」
意味あり気に笑って一海は襖のほうへ手招きする。こっちに出て来いという意味なのは分かるけれど正直前置きが意味深過ぎて出てきてほしくないというのが稜の本音だった。
けれどそんな思いは虚しくギクシャクしながら襖の奥から少女が出てきた。年齢は同じくらいか1、2歳ほど年下だろう。黒く大きな目と黒髪に神子装束が印象的な少女だった。
「七海、こやつの修行を手伝ってやれ。他を見てくる」
一海は含み笑いで広い道場の片隅に稜と七海を残し未だ腕立て伏せをしている樹の背にどこから取り出したのか素早く重石を乗せた。


ぎゃあ、と樹の悲鳴が聞こえてきたのは幻聴ではないはずだ。あの仕打ちからして腕立て千回くらいならまだまだ序の口、一海は準備運動にすら思っていないのだろう。
それより問題は稜の修行だ。残されてからというもの口を開こうともせず、もじもじと床に視線を落としている七海にちらりと視線を向ければスッと彼女も視線を上げ一瞬目が合ったかと思いきやすぐさま視線を逸らされた。
「…おい、ばーさんが言ってたが式神の使い手だそうだな」
「は、はいッ…!」
沈黙が気まずくて稜が声をかけると七海はギクシャクしながら答える。別にこれからカツアゲしようってわけでもないのだから、そこまで挙動不審であからさまな態度をとられると気まずさ以外の何も残らない。
「…とりあえず、お前の式神を見せてもらおうか」
溜息を一つ吐いて稜が言う。正直すぐにでも修行に入らないとこの場を取り繕う自信が無い。綾は綾で都合の良いように入れ替わってからは眠い、と呟いてこの道場に入った時から既に眠っているようだった。
「あ、あの…お名前は…?」
「稜だ。ばーさんから聞いてないのか」
「あ…千波ちゃんから聞いてます」
「なら聞く必要ないだろ。いいから早く見せてみろ」
それが人にものを教わる態度なのかと普通なら怒りそうだけれど七海はいかんせん分からずに居た。天狼という種族が融合、転生を繰り返し強力な力を蓄えて成長していく妖怪の種族だというのは一海から聞いたことはあるけれど、こうして実際目の前にすると微力な妖気は感じても外見を見る限りどこをとっても人間と変わりないのだ。そして、性別は女。胸部の微かな膨らみがそれを如実に物語っていた。
しかし稜の対応や声色の低さ、何より千波から聞いた話では融合してしまっただけで中身は男だと聞く。それも―――天狼という特異稀なる種族の、人間でいう美形だと。これで気にならない女が居たらまず説教してやりたい。
「な、七海、頑張りますっ!!」
ぐっと両手に力拳を握り気合を入れる七海。本来頑張るべきなのは修行を受ける稜であって、決して彼女ではない。そしてその様子を呆れたように見ている稜。一日でも早く修行を終わらせて帰りたい―――というか静かに過ごしたい、と切実に思った。


「それじゃあ、まず基本の五行思想から説明しますね」
懐紙を取り出して筆でさらさらと書き記し、その位置を指しながら説明する。
「まず木行から…樹木の成長、発育をする春の象徴でありこれを高める事によって霊力の強い修行を積んだ人間は一時的に風や木気などの気道をつかむことが出来ます。また強力な術者の手にかかると葉っぱ一枚であろうと凶器にし人間を殺める事も可能です」
道場の開きっぱなしな窓から入ってきている木の枝から葉を一枚とり、七海は実践してみせた。たかが葉一枚でスッパリと小枝が落ちたのだ。その枝を取り上げて切り口をみれば鋭いナイフできられた跡のようで稜は「ふゥん…」と小さく頷く。
「次に火行です。もう分かると思いますけれどこれは夏の象徴であり修行によっては熱や火気への耐性がつきます。稜様の人間としての肉体を見る限りは丁の気が強いので火行が他の五行に対し修得も早くより強力な力を引き出せると思いますよ」
「それは困るな、たかが耐性がついたところで大した戦力にはならない」
「それは違います。五行それぞれに相性というものがあって、例えば火行は微、言、心、楽、喜・笑、舌、苦、憂などがあり、主に五獣でいう赤竜、朱雀の加護がついています。式神を造る際には五行が最も重要なもので火行であれば水行への耐性がつきにくい為、能力を生かす為に木行と土行を取り入れるのが最も能力発達に適しています。特に木行を同じように窮めていけば火行の耐性は強化され戦力としての能力を造る際にも一際役立ちます。他の行に比べて最も戦力には長けているんです―――ただ、見る限り稜様は陰陽の均衡を保てていないので五行を窮めず今のままで式神を創造しようとすれば一度限りの使い捨てという形になってしまいます」
「…使い捨てとそうでないものの違いは?」
「式神というものは自分に見合った力で自分を守護するものだと七海は考えてます。なので言い方は悪いですけれど使い捨てになるといかに五行を窮めても徐々に力が減ってしまうんです」
「式神にも心はある―――か」
それは使い魔にも似たような力だという事だろうか。
「以前こちらにいらした方の中ですと、あのスポコンゴリラ…じゃなかった。樹さんなんかが式神を使う事に関して一番上達が早いと思いますよ」
霊力の強い人間として生まれ自然体で五行の均衡を保っていたのだろう。また彼は人間だから陰陽五行思想の結びつきもバランスが良い。ちなみにこれらの五行や陰陽を調べるには熟練した能力者であれば目に見えて気が分かるが、そうでない場合は生年月日や干支で主な属性が決まるようだ。
「でも稜様の場合、人間としての肉体のほうが陰の気を宿していておそらく稜様自身の気が陽の気なので対のバランスを保つことから始めたほうが良いと七海は思います」
先程までの沈黙がまるでウソのようにハキハキものを言うものだと稜は思ったけれど黙って説明を聞いていた。この先より力が必要だといわれた以上、手を付けられるものは修得しておこうと思ったのかも知れない。
「お前の話はだいたい掴めた。なら早く修行に入るぞ」
「はいっ!あ、あの…」
「何だ?」
「お前、じゃなくて七海って呼んで下さい」
再びもじもじと稜を見たり床に視線を落としたりし始める七海。これは変に素っ気無い態度をとるより諦めてある程度妥協しなければ話は進みそうにないなと思ったのか稜は短く「ああ」と返し、他のメンバー達のほうへ視線をなげた。

「やってられるかァァアア!!!」
「何で俺こんなとこ来ちゃったんだろう…」
重石を乗せられこれは修行という名の拷問かと講義をあげる樹やもはや真面目に修行に取り組むつもりは無いのかげんなりと肩を落として遠い目をしている竜慈。まだまだ先は長そうだと思いつつも何だかんだで他の皆もこの数分程度の間で目に見える変化があった為、人一倍プライドの高い稜はその光景を"気に入らない"とむっすりした表情で見据えていた。


041004...081031修正