015.修行の成果は後程
修行を始めてから早一週間が経った。その間に稜は類稀なる速度で成長し、ついには式神を形に成せるようにまで到達した。
「これが…稜様の式神…?」
首を傾げ不思議そうに"ソレ"を見る七海。技術に関しては全く問題ないし、よくここまで成長したと思える。けれど能力に関してはどうしてこういったものにしたのか不思議でしょうがなかった。
稜が型にはめた式神は式神とは思えないほど繊細でなおかつ人の形をしていたのだ。道理さえ理解してしまえば肉体を作りだす事くらいは出来るだろう、と考えたのだろう。
確かにこれは不可能な事ではない。生物の構造というものは科学的にも道理が通っているものだしそれに人間の持つべき能力の高等技術を加えれば"人型"くらい簡単に作れるのだ。
しかしなぜ式神を人型にしたのかという疑問。それは戦闘において圧倒的に他の式神に比べて劣るからだ。人の形をしているだけでも術を展開するのに時間はかかるし攻撃に用いる際の火力も人型を維持する力に食われ微弱になる。初めこそ戦闘能力に囚われていたように思えた稜が一体何を思ってこの式神にしたのか七海には理解できなかった。

「さあ、契約だ」

人の型をした式神を見て満足そうに弧を描く唇。その式神の姿は人間界へと来た当初の稜―――つまり天狼に酷似していた。
そして式神との契約。これを交わせばある一定の条件付けでその式神を自分の所有物として扱えるようになるのだ。
「あれは傀儡だ。俺の妖力を食うのと引き換えに俺の核と魂とこの肉体から一時的に移すことが出来るというだけだ。もちろん―――俺の"能力"もな」
傀儡(かいらい)つまりくぐつ、人形という事だ。稜の元の肉体は綾と融合した際に消滅している。それと同等に機能するかは分からないが少なくとも一定時間はこの式神の力で綾の肉体にかける負担は少しでも軽くなるはずだと稜は考えた。時が来れば本来の肉体を生成する事が出来る天狼にとってこういった式神の能力は全く意味を持たない。しかしあえてこの能力にしたのはいわば保身の為である。
「そんじゃま、試してみるか」
式神の理は曲げていない。成功している確率は九割以上のためまず異常が発生することもないだろう。念には念を込めてまず稜は自分の型をした式神と片手を合わせる。

それが魂を転送する際の儀式のようで一瞬の間を置いて式神として作り出された天狼がスッと目を開け紅の瞳が姿を現した。同時に綾の肉体から力が抜けて一瞬よろけたものの、綾のほうが出てきた。
「あ、れ?稜君…?」
修行からの光景を一部始終きちんと中から同じ視界を通して見ていたけれど、やはり自分の中に居る"人格"ではなく自分とは別の"人間"だと感じるものが全く違う。
「どうだ?なかなかの出来だろ!」
嬉しそうにニヤリと意地悪く笑い(本人はすこぶる機嫌が良いらしいが)綾の頭をポンポン撫で回す。その手を振り払う事無く綾は唖然として稜を見ているが―――
「うん。なかなかの出来だね―――で、耳と尻尾は?」
「は?あんだろこ―――…!?」
ここに、と続けようとした言葉は尻尾を動かそうと脳で指令を出した瞬間の違和感で途切れた。肝心な天狼である極上(自称)の尾が無いのだ。おそらくは生成する際に忘れたかもしくは魂と核を一時的に転送したという副作用で消えてしまったのどちらかだ。
「……………」
「まるで人間みたいだねっ!」
ガックリと肩を落とし自分の失態に悔いている稜へ遠慮なく綾がトドメをさす。ガーン!という効果音がどこからか聞こえてきそうなほどショックを受けた稜は言い返す前にポカンと綾の頭を軽く叩いた。
「いたっ…!な、何すんのよっ!」
「ああ?こりゃあアレだ、わざと付けなかったんだよ!」
「うっそだー!さっき"ここにある"って言おうとしたじゃない!」
「き、気のせいだ!空耳だ!幻聴だっ!」
「むー…絶対聞き間違いじゃないもん!」
むきになって言い合いを続けているうちに稜はふと上手い言い訳を思いつく。
「人間界なのに妖怪の姿だったら怪しくてそこらへん歩けねぇだろ」
ふふん、どうだこれで綾も言い返せまい。そんな気持ちで胸を張り綾を見下す稜だが―――
「式神って霊力で具現化されてるんでしょ?普通の人にも見えるの?」
致命的な一言。いくら理にかなっていて上手いこと人型を作れたとしても綾が言うように霊力の低い人間にも式神が見えるのかは試してないから分からない。そもそも見えなかったら本当に(耳と尻尾が無い時点で)意味の無い代物、本物のお人形さんになってしまったも同然だからだ。
するとそこへ七海がポツリと言う。
「大丈夫…です、より濃密に生成された式神は普通の人間にも見えるし触れます」
その目はどこからどう見ても稜を捕えていて、七海の補足で再び上機嫌になった稜は「ほらみろ!」とバカにしたように綾を見る。傍から見れば(稜が人間と変わりない外見のため)ただのバカップルだが知っている者が見れば稜が大人気ないという冷たい視線で見られる事間違い無しだ。
「どうだ七海、俺の式神は上出来だろ」
「は、はい!本当に素晴らしいとしか言い様がありませんっ!」
「そうだろうそうだろう」
もっと褒めろと言わんばかりに一人でうんうんと頷いては口の端を持ち上げる。次第に機嫌の良さが上がってきた稜はそのままの姿で他のメンバーに会いにいったようだ―――何が目的なのかは全く分からないが。

そしてぽつんと残された綾と七海はお互いにちらりと顔を見合わせて苦笑した。
「え…ええと、綾さん?ですよね?」
「あ、はい。どうも綾です、えっと…七海さん…?」
「七海でいいですよ〜七海のほうが年下なんですから」
「えと、それじゃあ七海…ちゃん?」
そんな女同士の会話を弾ませつつこれからどう盛り上がるのだろうかと女友達の少ない綾が微かに期待すれば、七海は不思議そうに驚くようなことを聞いてきた。
「綾さんは、稜様の彼女なんですか?」
「か、彼女!?」
ない。それは絶対に無い!というか中学生で彼女なんて私にはまだ早いよ〜!と稜が居ないのをいい事に一人で盛り上がってみるが、どうして七海は自分にそんな事を聞いてきたのかと考えてみれば至極簡単な事で…
「七海ちゃん、稜君の事気に入った?」
ああやってみると確かに女である綾が嫉妬するくらい綺麗な顔をしているのだ。なんだかよく見れば腰も細いし近くで見たら肌なんてすべっすべに違いない(口に出すと自分がいたたまれなくなりそうな気がするから言わないけど)とにかく、あのやや目立つ藍色の髪の毛といい、きっと街中を歩いたら誰もが振り返るだろう。
「もっもちろん大好きです!」
七海は言う。その反応に正直な子だなーと感心しながらも極秘探偵になって初めて歳の近い女の子の友達が出来そうだと内心喜んでいた。普通の女の子がこんな反応をしたら呆気にとられて反応に困ってしまうが、七海ならどういうわけか許せてしまう、そんな個性ある雰囲気を彼女は持っていた。
「でも、稜君かぁー…稜君、ねぇ…」
相手は妖怪、自分は人間の恋なんて難しいんじゃないかと一瞬考えるが、同じ女の子としては何とか応援してあげたい気持ちになる。というか女の子はだいたい恋話が大好きなもので、自分の事でもないのにワクワクしてしまう。
「頑張ってね、七海ちゃん!私応援するよっ!」
「きゃーっ!ありがとうございます綾さんっ!」
二人は手を取り合ってお互い違う意味で喜んでいた。七海は綾が稜の恋人ではなかった事に、その上自分の恋に協力してくれる事に対して。綾は友達が少ないから新しい、しかも歳の近い女の子の友達が出来た事に対して。もちろんこれらは当人の心の中でだけ思っていることであって口にした瞬間にしらけてしまうかもしれない。


それはさておき傀儡とはいえ自分の肉体を手に入れた稜は天にも昇る気持ちで修行の成果だ!とその身でふんぞりかえって居たが、思ったより周囲の反応は冷たいものだった。
「あっそ…よかったな…」
「うんうん、この調子で戻れるといいねー」
和臣は心なしか顔色が悪くちらりと稜を見てから溜息を一つ。竜慈はもはや口先だけで視線はどこか遠くを見ている。それほどまでに一海の修行はこの一週間だけでも厳しかったというのがうかがえるほどにやつれている。
「んだよ、ノリ悪いな」
それが俺様に対しての接し方か?もっと敬え天狼様だぞ?と思いはしたけれど、そんな奴らに構っている暇はないので他に面白い反応を示してくれそうな奴らを探す。
「どうだ透也!式神とはいえなかなか俺を再現してると思わないか?」
「はは…今のお前、サイッコーに不愉快だ
こっちは半死半生になるまでみっちり一海にしごかれていて余計な体力すら使いたくないというのに、こうも上機嫌で来られるとまるで日頃の竜慈を相手にしている気分で逆に機嫌が悪くなる。頼むから疲れてる時は休ませてくれ、そうでなくてもせめて労わりの言葉くらいかけられないのか、と。
「なんだ、お前もかよ。つまんねぇやつだな」
「何が悲しくて野郎に声かけられてテンションあげなきゃならんのだ!」
「ま、そりゃそうか…なんなら七海でも呼んでくるか?」
「あばばばやややめやめやめてくださいごめんなさい」
見るからに怯えはじめた透也を不思議に思いつつもこれ以上こいつに期待してもサイッコーに不愉快な気分になるのは目に見えている。
ざっと見るところまだまだ体力が残ってそうなのは樹と秀一くらいだ。そう思って修行中の二人をちらりと見ていると秀一のほうが稜の視線に気付いたらしく中断してこちらに駆け寄ってきた。
「あれ?ボク、迷子ですか?」
「…てめぇ俺をおちょくってんのか」
絶対に稜だと気付いているクセに吐き出された第一声は明らかにからかいを含んだものでムッと稜の眉が寄せられる。少なくとも綾の身長で子供扱いならともかく160は越えている身長で子供扱い、しかも"ボク"なんて言われた日には目の前でニコニコと爽やかな微笑を携えている男を殴り倒したい気分になる。
「いやだなぁ、殴り倒すなんて穏やかじゃありませんよ」
「人の心を勝手に読むな」
「あれ?当たってたんですか。ふふ…分かりやすくていいですね稜は」
「んなもん分かるのは人間観察を趣味にしてるテメーだけだろ」
「そんな事してませんて」
クスクスと笑いながら秀一は稜の姿を上から下までじっと見る。そんな様子を察してふつふつと稜の気分は良くなり、さあ思う存分俺を褒め称えろと内心で思っていると―――
「おかしいですね、天狼にはきちんと尻尾があったはずなんですけど」
どうしたんでしょう、ね?と嫌な笑みを浮かべて稜を見る。
「ああ、もしかして人間界バージョンですか?そうですよねぇ、稜が自分の外見忘れるはずありませんもんね。それとも術を完璧に出来てなかったのかな…?はは、稜に限ってそんな事あるわけないですよねー
グサッグサグサッと次から次に言葉が突き刺さる。こうも見事に的を射てくると逃れようが無い。
「おいおい秀一、そこらへんでやめとけよ」
そこで声をかけたのが樹。そうやら中断したのではなくきちんと終わらせたようだ。玉のような汗を額に滲ませながらハンドタオルを手にしている姿はスポーツマンのようだ。
「おっ何だ?もしかして修行中に元の体に戻ったのか?」
稜の姿をまじまじと見て本来"天狼"という妖怪の種族を見た事のない樹は良かったなー、なんて当初稜が期待していた言葉を投げかける(本当はここで自分の式神だと言い驚かせたかったようだ)とてつもなく殴りたい衝動に駆られたが本人に全く悪気がないものだから悔しい。ギリギリと握り締めた拳をふるわせる稜の姿を見てついに笑いが堪えられなくなったのか秀一の楽しそうな声が道場に木霊した。




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