019.始まりはいつも晴のち曇
すっかり元気になった綾は特にやる事もなく呆然と他のメンバー達が修行する光景を道場の片隅に腰をおろし眺めていた。式神というものを全く理解出来ていない綾にとって今の状態で一から修行するには少々時間がかかるからだ。半年という期間はあるものの、たかが一週間、されど一週間。みんなに追いつくことは出来ないのが目に見えてわかった。
稜は気にするなと言って一度は綾の肉体に戻ったけれどまた数日後、より傀儡と魂の結合度をあげると綾には到底理解出来ないことを言って再び式神の肉体になり、また妖力が限界になると綾の肉体に戻るのを繰り返していた。これは彼なりに考えた修行の一つなのかも知れない。
そんな事で綾はここ数ヶ月というものまともに修行をせず、自宅に戻り(さすがに長期間家を空ける事は家族に対して言い訳が無いので難しい)いつものように学校へ行き、そして帰宅後、一海の道場までやってくるのだ―――来てみたところで何もする事はないけれど。
「あれ?綾ちゃん来てたなら声かけてくれれば良かったのに」
そう言ってにこやかに声をかけてきたのは青森メンバーである義明。幸也とは正反対の性格で明るくとてもフレンドリーに接してくれて綾も気に入っている。
「ううん、みんなの修行の邪魔しちゃ悪いから」
綾もにっこり笑って返すと特に言葉を交わすわけではないがお互いにニコニコと意味もなく笑いが込み上げてくる。こういったものは天性の才能とも言えようか義明の場を和ませる雰囲気は綾にとってとても心地よかった。
「そういえば綾ちゃんとこうやってゆっくり話す時間今まで無かったよね」
綾の隣に腰をおろして義明は言う。綾が回復してからはほぼ神奈川メンバーが付き添っていたり各自修行があったりで忙しかった為、簡単な自己紹介とあとは暇がある時を見て話す事くらいしかなかった(それだけでも十分打ち解けられる愛嬌というものを彼は持っているのだが)
「そうだね〜…あの時は幸也にさんざんいじめられてたから青森の人はみんな怖いものだと思ってたけど」
今でも幸也は修行に飽きるもしくは綾の姿を見つけると修行を中断してまで綾を構いに抜け出してくる。それがどういう意味なのか綾には分からないが、長い間近くで幸也を見てきた義明からすれば至極簡単に想像がついた。
「あれは幸也なりの愛情表現なんだって。…まあちょっとやりすぎだけどね」
ははっと苦笑しながらフォローしてみるけれど綾は納得できないようだ。最初こそ構って欲しいだけだと思っていたけれど口をひらくと酷い事ばかり言われてさすがの綾も嫌われてるんじゃないかとオロオロしてしまう。
「凄いなぁ義明は。私ちょっと幸也の事怖いもん」
「そりゃー散々罵られたからでしょ?大丈夫だって、アイツも悪いやつじゃないんだしフレンドリーに接してたらもう少し優しくなるって」
「…義明は幸也に優しく接してもらえるんだ?」
「いや、全然」
ダメじゃん、と呟いてまた二人は顔を見合わせて笑った。もちろんそんな光景を面白くない顔をして見ていたのは噂の人物で。
「僕が、なに?」
むすっとした表情で綾と義明の間に式神を召喚するための札を投げつけてきた。ストン、と紙切れなのに凶器のように道場の壁に突き刺さった札を見て二人は笑顔を凍らせ青ざめた表情で幸也を見る。
「あ、危ないだろ幸也!綾の顔に傷でもついたらどうすんの!」
「そしたら責任とって嫁に貰ってあげるけど、僕がそんなヘマするわけないじゃないか」
「よ…嫁…!?」
「第一僕が狙ったのは義明だし」
「ひどくね!?それすっごいひどくね!?」
しれっとした態度で悪びれもせずに言ってのけた幸也に激しくツッコミをいれる義明。なんだかこの二人を見ているとパートナーの重要性とその間の信頼関係というものが目に見えて納得できる。
「阿吽の呼吸だね!」
何を見て思ったのか綾は天然ともいえる電波的なことを口にする。
「どこが!?」
「どこが」
義明と幸也がすかさず返すと綾はクスクス笑った。


そんな騒がしい三人のところへ修行がひと段落ついたのか同じく青森メンバーの華僑と玄太郎がやってくる。玄太郎は一海の一番弟子であり青森メンバーのリーダー的存在だ。年齢も聞く限りでは極秘探偵で最年長らしい。威厳のあるおじさんだが話せばまるで綾を孫のように可愛がってくれる優しい人だった。
そして華僑はその玄太郎のパートナーで、盲目のイタコという通り名を持つ極秘探偵の中でもとっつきにくい人…らしい。盲目というだけあってその瞳を見たことは今のところ一度たりとない。いつも目を閉じたままで壁や人にぶつからないのか、とか転んだりしないのか綾は不思議に思う。口数も少なくまだあまり話した事が無い相手だ。
「幸也、また修行をさぼってこんな所で何をしている」
玄太郎が言う。それに対し答えるのもめんどくさいと言わんばかりに無視して幸也は溜息を一つだけ残して札を片手にその輪から外れた。
「あいつはまた…何度言っても聞かんな」
「まあまあじっちゃん、そんな怒るなよ。幸也も分かってるから何も言わずに戻ったんだ」
「義明、お前もどうして幸也が修行をさぼった時に言わなかったんだ?」
「いや、だって余計な火の粉とか俺いらないし」
「はぁ…全くこれだからお前らは」
呆れたように肩を落とす玄太郎の背を気遣うようにポンポンと華僑が軽く叩き励ます。
「張り切るのも良いが、休息も必要だ」
口を開くと女性のような美しい外見とは違い、男性だとすぐにわかる。イタコというだけあって巫女装束を身に纏っているのだが、それに違和感を感じさせないほどに綺麗な男だ。
「すまんな綾。青森の連中はみんな一癖も二癖もあるやつらばかりだから相手をするのも大変だろう?」
玄太郎は大きな手で綾の頭を優しく撫でると、これまた優しそうな声色で言う。最初こそ怖い人、厳しそうな人という印象を与えてしまうが(実際修行ではとても厳しいけれど)慣れてしまえば綾も全く怖いと思わない。
「大丈夫ですよ、こっちの人たちも同じようなものだから」
さり気なく笑顔で凄い事を言っているけれど、実際その通りである。極秘探偵はどこもクセの強い連中ばかり集まっているのは東京メンバーもまたしかりだ。
「それは良かった。女子一人で大変だろう?何かあったら遠慮なく言ってきなさい」
「ありがとう玄太郎おじいちゃん」
まだおじいちゃん、という年齢ではないが綾から見ればあまり大差ないのかも知れない(外見ではなく仕草や格好、そして言動など)玄太郎も義明に言われ続けて慣れたのか特に何の反応もしめさない。
「華僑、お前は暫く休んでいなさい。義明はもう十分休んだだろ?幸也と共に修行だ。こっちへ来なさい」
「ええー!?俺まだ全然休んでないよ!?これっぽっちも!」
「それだけ元気があれば十分だ」
まるで一海のような強引さであるが彼女の一番弟子なら納得の出来る行動だ。ただ意味もなく無理な修行をさせるわけではなくきちんと頃合を見計らっているのだろう。

そしてぽつんと残された綾と無言のままその隣に腰をおろしている華僑。二人の間に会話など無く気まずい沈黙だけが流れる。
(う…休憩の邪魔にならないかな私)
人が居るだけで気が休まらない人も居る(特に和臣や稜などがそのタイプだ)だとしたら邪魔になるかも知れないし、他の人たちの修行を応援しに行くかな、なんて思い綾が静かに腰を上げると華僑が口を開いた。
「どこへ行く」
「へ!?」
無言だからてっきり寝ようとしていたものだと思っていた綾は間抜けな声を出す。華僑は先程からチラチラと視線を感じどこかぎこちない空気を纏っている綾を近くで感じていたから何を考えているのか手に取るように分かっていた。
「別に私はお前が居ても構わん」
「う…そ、そうですか?」
何を考えているのか分からない人だと思いながら綾は先程と同じように華僑の隣に腰をおろすが、やはり会話が続かない。このままお互い黙っているのも何だか雰囲気が悪いと思ったので綾は何か話題を探す。
「あの、華僑さんて綺麗ですよね。私巫女装束が似合う男の人って初めて見るから何かちょっと新鮮です」
「私が綺麗…か?自分の顔を見たのはもうずっと昔の事だから今どんな顔をしているのか想像もつかないな」
しまった、墓穴だったかと綾は息を飲み込む。そういえば華僑は目が見えないのだ。それに対してこういった外見、特に視覚面での話題を振るのはいささか酷なものである。
「あ…ご、ごめんなさい」
「構うな。私の目が見えぬからといってお前が気にする事ではない」
ピシャリといわれてしまい返す言葉もない。華僑との会話は少しの時間を見繕って話したとしても今までと変わりなくこんなものだった。相手に二言目を与えないような会話ばかりで、話していても楽しくない。けれど今日はどこか違う―――ように思えた。
「綺麗、か。それはどういう意味でなのだろうな」
そう小さく呟いた華僑の表情が心なしか沈んでいるように見えたからだ。声色や姿勢、雰囲気などは先程から全く変わらないのにどうしてだか綾にはそう思えた。
(目が見えないから"綺麗"とか"美しい"の基準がわからないのかな…?)
とてもそんな意味で呟いた言葉だとは思えないけれど綾はそう解釈したようだ。
(…目が見えないって、どういう気分なんだろう…)
そう思いふと目を瞑ってみるが特に何も変わりはない。ただこの状態で歩いたり物に触ったりするとしたら目に見えないモノにたいしての恐怖が生まれるだろうという事は分かった。
「…人間は目に見えるものばかりに囚われすぎていて、本当に大切なものに気付かない」
それと同時に目に見えないものは存在しないと勝手に決め付けていたり、逆に目に見えない存在を信じていてもそれは好奇心という欲に塗れていてそれを見る者に対する瞳はとても曇っている。もちろん自分にそういった感情が無いと言えばそれは違うけれど、気付いた時には遅かったという事が人間にはあまりに多すぎると思っているのだ。
そう小さく話した華僑の声色に綾はハッ目を開け華僑を見る。そこには先程と何の変わりない華僑が座っていただけなのだが、目を瞑っていた時に一つだけ気付いた事があった。彼と話していて楽しくないと感じてしまったのは、おそらく無意識的に彼の表情ばかりが気になっていて会話を切られた事に対する不満が入り混じり"楽しくない"と勝手に思い込んでしまったからなのだという事。事実目を瞑っている時に彼の声色のみを頼りに吐き出された言葉を聞いていたら、何となく華僑がどんな表情をしていたのか想像できた気がする。
「本当に大切なもの…って、こういう事なんですね」
クスッと笑みをもらして綾は呟いた。華僑は一瞬首をかしげ訳が分からないといった雰囲気だったけれど、綾はよく分かった。危うく華僑を誤解するところだったのだ。それに気付けただけでも十分彼の事が分かった気がする。
「お前は変わった奴だな」
「そうですか?華僑さんも変わり者だと思うけど」
何だか褒められている気がしないと少しだけ頬を膨らませてみるとクスリと華僑が笑ったような気がした。やはり耳だけを頼りに話すと今まで持っていた華僑へのイメージは全く違うものなんだと気付かされた。話せば反応が返ってくるし、会話がすぐに終わってしまうならもう一度切り出せばいい事なのだ。
「うん、なんか少し分かった気がします」
「…?まあ、何がかは分からんが、良かったな」
「はい!華僑さんも幸也みたいに意地悪な人だったらどうしようって思ってたんですよ最初」
笑いながら言った綾に華僑は苦笑する。
「意地悪…か。アイツは捻くれ者で不器用なだけだ。根はとても優しい奴だよ」
「そ、そうなんですか?…だっていつも酷い事言ってくるのに?」
「あいつはあれでお前に構って欲しいだけだろう。私にはそう思える」
「構って欲しいだけ…ううーん…」
とてもそんなようには思えない。むしろああやって意地悪ばかりしてこちらの反応を楽しんでいるとしか思えないくらいだ。けれど華僑が言うのならもしかしたら優しい…一面もあるのかもしれない。
「それに―――幸也よりは私のほうがよほど意地が悪い」
とてもそんな風には見えないけど…なんて思いながらチラリと華僑を見るとそれはもう楽しそうに、先程の会話では全く表情を変えなかったくせに笑っているのだ。
「どうかしたか?」
「い、いや、別に…華僑さんも笑えたんだなーと思って」
失礼な事をつい口走ってしまったと思った時には再び式神の札が今度は華僑が居た位置に飛んできた。それを華僑は難なく交わすとストン、と壁に突き刺さる。ただの紙切れなのにどうしてこうも頑丈で弓のように扱えるんだろうと綾は思ったけれど、がっしりと頭を鷲掴みにされてそんな事を考える暇さえ与えられなかった。
「また僕の話して…そんなに僕の事が気になるわけ?」
明らかに不機嫌そうな声が上から降ってきて、頭を掴んでいる人物が幸也であることを悟る。
「ちっちがっそういうわけじゃなくてー!!」
「それじゃどういうわけなのさ」
「お前より私のほうが意地が悪い…という話をしていただけだ」
しれっと言った華僑はさも可笑しそうな微笑を携えながら綾を自分のほうへ引き寄せ幸也から救出すると綾からは見えない位置で口の端を軽く吊り上げた。まさにニヤリ、という表情だろう。それに気分を悪くした幸也はむっと唇と突き立てると式神の札をさっと構える。
「ちょっ!?え!?私が的なの!?やめてそんな危ないよ!?」
綾からしてみれば華僑に拘束され幸也がいつもの意地悪に拍車をかけた形でナイフ投げよろしくお札投げでもしでかしてくれるんじゃないかと気が気じゃない。もちろんそんなはずもなく幸也の狙いは華僑なのだが―――
「わー!俺の綾が大ピーンチ!!」
ズザーッとスライディングする勢いに乗せアクロバティックな動きで綾を華僑から引き離し救出したのは竜慈。いつもは空気が読めないだけで手酷い仕打ちを受けるが(主に稜から)今回ばかりは綾の救世主とも言える登場だった。
―――が、幸也の狙いが竜慈に変わったという事は言うまでもない。


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